一日一斎物語 (ストーリーで味わう『言志四録』)

毎日一信 佐藤一斎先生の『言志四録』を一章ずつ取り上げて、一話完結の物語に仕立てています(第1066日目より)。 物語をお読みいただき、少しだけ立ち止まって考える時間をもっていただけたなら、それに勝る喜びはありません。

江戸末期、維新を成し遂げた志士たちの心の支えとなったのが佐藤一斎先生の教えであったことは国史における厳然たる事実です。
なかでも代表作の『言志四録』は、西郷隆盛翁らに多大な影響を与えた箴言集です。

勿論現代の私たちが読んでも全く色褪せることなく、心に響いてきます。

このブログは、『言志四録』こそ日本人必読の書と信じる小生が、素人の手習いとして全1133章を一日一章ずつ拙い所感と共に掲載するというブログです。

現代の若い人たちの中にも立派な人はたくさんいます。
正にこれから日本を背負って立つ若い人たちが、これらの言葉に触れ、高い志を抱いて日々を過ごしていくならば、きっと未来の日本も明るいでしょう。

限られた範囲内でも良い。
そうした若者にこのブログを読んでもらえたら。

そんな思いで日々徒然に書き込んでいきます。

第1806日 「慎独」 と 「応酬」 についての一考察

喫茶コーナーで営業1課の新美課長と廣田さんが話をしているようです。

「課長、他人に流されないようにするのは難しいですね」

「廣田君は優しいから人の意見を聞きすぎてしまうんだろうね」

「自分の軸がしっかりしていないからだと思います。課長はどうやって自分の軸を作り上げたのですか?」

「どうやって、って聞かれると即答できないものだなぁ。私も若いときは廣田君と同じように悩んだよ。なんて言ったって、周りには神坂さん、大累さん、清水さんと図太い軸をもった先輩がいたからねぇ」

「ははは。あの3人の方々は強烈ですもんね」

「そうだよ。海千山千の先輩と肩を並べて仕事をするのは本当に大変だった。あの人たちはとにかく決断が早いんだ」

「やっぱり軸がしっかりしていると、決断力が上がるんですね?」

「ただ、神坂さんの決断は極端なのが多くて、本当にそうかなぁと思うことも度々あったけどね。(笑)」

「そうですか。では、課長も私と同じように悩んだのですね?」

「うん。そんなときに、佐藤部長にこう言われたんだ」

「一斎先生ですか?」

「ご名答! 一斎先生は、『独りでいるときは大衆の中にいるように行動し、大衆の中にいるときは一人でいるかのように行動せよと言っていると教えてもらった」

「現状と真逆の環境を想定するのか?」

「うん。私もどちらかというと他人の意見に流されやすいところがあったから、大衆の中にいるときに一人でいるかのように行動しろというアドバイスは参考になったな」

「特に周囲と違う意見を持っているときは、なかなか主張し切れません。自分を信じるということですか?」

「そうかもね。たとえ自分以外の全員が自分と違う意見だとしても、自分が善と信じるなら貫き通す覚悟が必要だね。別に無理をして他人を説き伏せる必要はないんじゃない?」

「ああ、そうか。自分の意見を主張するときは、ついつい相手を説き伏せようとしてしまいます。でも、相手が自分の意見に同調してくれるかどうかは、他人の課題ですもんね? まず、強い覚悟で主張することが大事なんですね」

「そういうことだよ。だって、神坂さんを説き伏せようなんてしようものなら・・・」

「ヘックション!」

「噂をすれば、噂の人がやってきましたよ」

「おー、お前ら朝から悩み事相談会か? しみったれてるねぇ。それにしても、またどこかの女が俺のことを噂しているのかな? さっきからくしゃみが止まらないんだなぁ」

「神坂課長はモテますもんね!」

「お、廣田君。君は人を見る目が確かだな。コーヒーを奢ってあげよう!」

「さすが! 決断が早いですね?」

「えっ、なんのこと?」


ひとりごと

他人の意見に流されず、自分の意見を主張することは、容易なことではありません。

特に、相手が自分より目上の人であったり、上位職者であればなおさらです。

そのときは、独り静かな環境にいるつもりで、まず自分の意見を主張してみましょう。

その意見を採用するか否かは、他人の課題なのですから。


【原文】
慎独の工夫は、当に身の稠人広坐(ちゅうじんこうざ)の中に在るが如きと一般なるべく、応酬の工夫は、当に間居独処の時の如きと一般なるべし。〔『言志晩録』第172条〕

【意訳】
独りのときを慎む慎独の工夫は、いつも自分の身が大衆の中にあるかのように振舞うことである。人との応対の工夫は、独り静かに暮らしているときと同じように振舞うことである。

【一日一斎物語的解釈】
独りでいるときこそ、大勢の人と一緒にいることを想定し、大勢の人といるときは、独り静かに暮らしていることを想定して行動するとよい。


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第1805日 「真に知ること」 と 「行動すること」 についての一考察

今日の神坂課長は、元同僚・西郷さんと食事をしているようです。

「サイさん、相変わらず精力的に動いているみたいですね。最近は、東京とか大阪でも『論語』の会を開催しているらしいじゃないですか」

「同じ古典の勉強仲間が是非やって欲しいと言ってくれたのでね。でも、細々とやっているだけだよ」

「でも、すごいことですよ」

「神坂君、ところで営業部はしっかりまとまっているの?」

「まあ、最近は離職者もいないし、まとまっていると言ってもいいのかなぁ?」

「廣田君はどう?」

「ああ、あいつも頑張ってますよ。最近は表情も明るくなってきましたから」

「それは良かった!」

「その代わりと言ってはなんですが、私は酒の量がちょっと増えたかもしれません。『わかっちゃいるけどやめられない』ってやつですね」

「ストレスってこと? 神坂君にストレスはないでしょう?」

「失敬な! 私だって人並みにストレスくらい感じますよ!」

「これは失礼しました。ところで、さっき『わかっちゃいるけどやめられない』って言ったよね?」

「はい」

「でも、本当に分かったら行動できるはずなんだ。つまり、お酒の量が増えると体に良くないということを真に理解すれば、自然とお酒の量は減るということだね」

「じゃあ、俺は本当はわかっていないということか?」

「そうだと思うな。それが真の知行合一だよ。嫌な臭いを嗅いだら、自然と鼻を塞ぐよね。知ることと行うことの関係はそういうものだよ。『嫌な臭いがするな。これは鼻を塞いだ方がいいな』なんて考えないよね?」

「なるほど」

「もちろん、真に理解するためには、熟慮するというステップが必要だけどね。何かを学び、それについて熟慮する。そうすると自然と行動できるようになる。というステップだろうね」

「そうかぁ。俺も医療人の端くれとして、もう少しアルコールが体に及ぼす影響について考えてみようかな?」

「そうすれば、きっと酒の量も減るよ」

「そうですね、そうします! あ、オヤジ。生お替わり!!」


ひとりごと

慮らずして知る、これは例えば、身体に良くない有毒ガスを嗅いだときに自然と鼻を塞ぐということでしょう。

慮って後に得る、これは例えば、腐った魚が落ちていたら、絶対に臭いを嗅ぐことはしないということでしょう。

有毒ガスについては、それが何かが分からなくても臭いを嗅ぎませんし、腐った魚は臭いことを学んでいるので臭いを嗅ぎませんよね。

そして、知行合一とは、こうした自然に知る能力と熟慮して得た知識を合わせて、瞬時に行動できることを言うのではないでしょうか?

行動できていないうちは、真に知ってはいないのです!


【原文】
「慮らずして知る」は本体の発なり。「慮って後に得る」は工夫の成なり。知るは即ち得ること、二套有るに非ず。〔『言志晩録』第171条〕

【意訳】
深く考えなくても理解できるのは、心の本体が発露しているからである。深く考えた後に理解できるのは、修養鍛錬の成果である。知ることはそのまま得ることであって、別に二つのことが存在するわけではない

【一日一斎物語的解釈】
知行合一とは、知れば自然と行動できるという意味である。行動できないのは、まだ真に知ることができていないからだ。


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第1804日 「反省」 と 「凹み」 についての一考察

営業2課の善久君がミスをしたようです。

「あー、僕はなんてダメな営業マンなんだろう。自分で自分が嫌になるな」

「善久、そういうネガティブな音を出さないでくれないか」

「すみません、課長。でも、自分では意識しているつもりなのに、同じようなミスを繰り返してしまうんです。もう病気じゃないかと思います」

「だから、ネガティブな音を出すなっつうの! 厳しいことを言わせてもらうとな、同じミスを繰り返すということは、本当の反省ができていないということじゃないか?」

「えっ、そんなことはないと思います。ちゃんと反省をしているつもりですけど・・・」

「人間ってさ、本当に心から反省した時には、さっきみたいな上っ面の反省の弁は出なくなるんじゃないかなぁ?」

「上っ面の反省ではないです!」

「そうかなぁ? だったら、ただダメだ、ダメだと騒いでいるだけじゃなくて、具体的に何か新たなアクションを起こしてみろよ」

「新たなアクションですか?」

「そう。反省して、ここがいけないという点が見つかったなら、次はそれを改善するために今までやっていなかった新たな行動を起こすんだよ」

「そう言われてみると、反省しているつもりでしたけど、新しい行動はとれていなかった気がします」

「そうだろう。多くの連中は、反省することと凹むことは同じことだと思っている。でも、実は全然違うよな。俺は凹んでいる奴をみると、『凹まなくていいから、反省しろ』ってよく言うだろう。俺たちの仕事の多くは、一回失敗したら終わりではない。もう一度チャレンジするチャンスは必ずある。だから、凹んでいる暇があったら、しっかり反省して、次の行動を導き出して欲しいんだよ」

「わかりました。ありがとうございます!」

「いいねぇ。今の善久は、上司である俺のアドバイスをちゃんと心で聴けているよな」

「そうですか?」

「石崎のやつは、普段はふざけた小僧だが、俺がアドバイスをすると、ちゃんと心で聴くということができるんだ。そして、心で反省するから、同じミスをしない」

「なるほど」

「お前は普段は俺に対して従順に見えるが、意外と意固地なところがある。だから、耳で聞くだけで心で聴けていないことが多い気がするんだ」

「・・・」

「しかし、今はしっかり心で聴けていた。きっと、もう同じミスはしないだろう!」


ひとりごと

心で聴くということは、別の言い方をすれば肚に落とすということです。

耳で聞いただけのものは、もう片方の耳から出て行ってしまいます。

しかし、自分の肚に落としたものは、しっかり蓄積されて自分の糧となるのです。

凹むだけで、反省しないようでは、成長はありませんね!


【原文】
口を以て己の行いを謗(そし)ること勿れ。耳を以て人の言を聴くこと勿れ。〔『言志晩録』第170条〕

【意訳】
自分の口で自分の行ないを非難してはいけない。自分の耳で他人の意見を聴いてはいけない。

【訳文】
口で上っ面の反省をするのではなく、心で反省をすべきであり、他人の諫言を耳で聴くのではなく、心で受けとめなければならない。


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第1803日 「心の目」 と 「心の耳」 についての一考察

今日の神坂課長は、佐藤部長の部屋に居るようです。

「『言志晩録』の言葉に、自分の言動を自分の目と耳でチェックしろ、というのがありました。でも、それって録音したり録画しないといけないですよね? 一斎先生の時代はどうしていたのでしょう?」

「ははは、そうだね。その時代にビデオカメラやICレコーダーはないものね」

「ええ。今はスマホでどちらもできますけどね」

「おそらく心の目と心の耳を使いなさいということだろう」

「心の目と心の耳ですか?」

「うん。常に自分を客観的に見つめるもう一人の自分を意識するということかな」

「なるほど。なかなか難しいですね」

「でも、もしそういう客観的なもう一人の自分を持てたら、失敗も少なくなると思うよ」

「たしかにそうですね。私の場合、ムカっと来たら、反射的に反論したり、罵声を浴びせてしまいます。ムカっときた時に、もう一人の自分の立ち位置から自分を見たら、そういう行動を抑えられるかもしれません」

「そう。そうやって自分を正していけば、自然と人はついてくる、と一斎先生は言っているよね」

「はい。あ、そうだ!」

「どうしたの?」

「今度の営業2課の会議で、営業のスキルについてディスカッションする予定なのですが、そこでロールプレイングをやってみようかな?」

「それを録画するんだね?」

「はい。それを見せてあげれば、メンバーも客観的に自分の言葉や行動を振り返ることができますから」

「いいね。お客様の役は誰がやるの? 意外とそこが大事なんだよ」

「はい。私がやりたいところですが、ここは冷静な山田さんにドクター役をやってもらいます。実は山田さん、かつて演劇部に所属していたそうですよ」

「へぇ、それは初耳だ。どんなドクターの役もこなしてくれそうだね」

「はい。でも、山田さんに短気なドクター役ができるかな? 仏の山さんですからね。面白いな、敢えてやってもらおうかな」


ひとりごと

自分を客観的に見つめるもう一人の自分を持つことができたら、多くの失敗を未然に防げるのだと一斎先生は言います。

自分の性格の悪い癖が出そうになったら、的確にアドバイスをしてくれるもう一人の自分を意識して作り上げてみませんか?

30代のときの自分にこのことをアドバイスしてあげたいなぁ。


【原文】
我が言語は、吾が耳自ら聴く可し。我が挙動は、吾が目自ら視る可し。視聴既に心に愧(は)じざらば、則ち人も亦必ず服せん。〔『言志晩録』第169条〕

【意訳】
自分の発する言葉は自分の耳で聴くべきである。また自分の挙動についても自分の目で視るべきである。自らの目や耳で見聞きして心に恥じる気持ちが生じないようであれば、他人もまた必ず自分に心服するであろう

【一日一斎物語的解釈】
定期的に自分の言葉や行動を自分の目と耳で確認すると良い。自分で自分を客観的に見聞きして、特に違和感を感じなければ、人間関係は良好なものになるはずである。


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第1802日 「問い」 と 「素直さ」 についての一考察

今日の神坂課長は、N鉄道病院名誉院長の長谷川先生をお訪ねしているようです。

「あ、電話だ。神坂君、少し待っていてね」

「はい。席を外しましょうか?」

「いやいや、大丈夫だよ。もしもし、あー川村先生。はい、ちょっと教えて頂きたいと思いましてね」

電話の相手は、長谷川先生が教授時代の部下で、現在はT市民病院の院長をしている川村先生のようです。

「そういうことですか、よくわかりました。お忙しいのに、ありがとう。また、わからないことがあったらお尋ねしてもよろしいですか? はい、それでは失礼します」
長谷川先生が受話器を戻しました。

「神坂君、お待たせしました」

「先生、お相手はT市民病院の川村院長ですよね?」

「うん、そうだよ」

「元は先生の部下だった方ですよね。それなのにあんなに丁寧な対応をされるのですね、感動しました」

「ははは。僕の専門は大腸でしょ。川村先生は胆膵のスペシャリストだからね。胆膵の処置について聞きたいことがあったから、僕が知る限り最も知見を持っている川村先生にメールを送ったんだよ。そうしたらわざわざ電話をくれてね」

「なるほど」

「胆膵の疾患に関しては彼の方が専門家だからね。僕が元上司かどうかは関係ないよね。素直に教えて頂くという姿勢でいないと、ダメじゃないかな?」

「はい、そう言われればその通りですが、しかし私にそれができるかというと・・・」

「つい、上からの態度を取ってしまう?」

「はい」

「ははは、神坂君らしいね。さっき川村先生に質問した仕事はね、ここの院長の代理の仕事でね。院長が海外出張中なので、僕が代わりにやることになったの」

「そうなんですか」

「だから院長に迷惑をかけないためにも、しっかり準備をしようと思ったんだよ」

「そういう配慮については、私はからっきし疎いので、本当に勉強になります」

「でも、神坂君は不思議な人だよね。たしかに礼儀がしっかりできているかと言えば、あやしいところも多々ある」

「あー、やっぱりそうですか!」

「それなのに、なぜか許せてしまうところがあるんだよ。もしかしたら、持って生まれた徳があるのかもね?」

「とんでもないです! そんなこと言われると、またどこかで自慢したくなっちゃいますよ」

「それをグッと堪えると、もっと徳が蓄積されると思うよ」

「はい、気をつけます!」


ひとりごと

1790日のひとりごとにも記載しましたが、立派な人ほど自分より地位や年齢が下の人にも素直に質問ができます。

これを孔子は、「下問を恥じず」という言葉で表現しています。

立場や年齢が上だから何でも知っていなければいけないと思うのは、かえって奢りかも知れません。

また、誰かの代理で処理する仕事こそ、自分の仕事以上に準備を怠らないことを意識することも重要です。

仕事は準備で8割決まりますから。


【原文】
事を人に問うには、虚懐(きょかい)なるを要し、豪(ごう)も挟(さしはさ)む所有る可からず。人に替りて事を処するには、周匝(しゅうそう)なるを要し、稍(やや)欠くる所有る可からず。〔『言志晩録』第168条〕

【意訳】
人に物事を尋ねるときは、虚心坦懐にして、少しでも自分の考えに執着するようなことがあってはならない。また、人に代わって物事を処理するときは、すみずみまで行き届いた仕事を行ない、すこしも足りない所があってはならない

【一日一斎物語的解釈】
他人に何かを尋ねるときは、素直な気持ちで、自分の小さなプライドなどは捨て置いて質問すべきである。また、誰かの代わりに仕事を処理する際は、細心の注意を払い、準備を怠ってはならない。


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