一日一斎物語 (ストーリーで味わう『言志四録』)

毎日一信 佐藤一斎先生の『言志四録』を一章ずつ取り上げて、一話完結の物語に仕立てています(第1066日目より)。 物語をお読みいただき、少しだけ立ち止まって考える時間をもっていただけたなら、それに勝る喜びはありません。

江戸末期、維新を成し遂げた志士たちの心の支えとなったのが佐藤一斎先生の教えであったことは国史における厳然たる事実です。
なかでも代表作の『言志四録』は、西郷隆盛翁らに多大な影響を与えた箴言集です。

勿論現代の私たちが読んでも全く色褪せることなく、心に響いてきます。

このブログは、『言志四録』こそ日本人必読の書と信じる小生が、素人の手習いとして全1133章を一日一章ずつ拙い所感と共に掲載するというブログです。

現代の若い人たちの中にも立派な人はたくさんいます。
正にこれから日本を背負って立つ若い人たちが、これらの言葉に触れ、高い志を抱いて日々を過ごしていくならば、きっと未来の日本も明るいでしょう。

限られた範囲内でも良い。
そうした若者にこのブログを読んでもらえたら。

そんな思いで日々徒然に書き込んでいきます。

第2483日 「忍耐」 と 「根本」 についての一考察

今日のことば

原文】
忍の字は、未だ病根を抜き去らず。謂わゆる克伐怨欲(こくばつえんよく)行われざる者なり。張公芸(ちょうこうげい)の百の忍字を書せしは、恐らく俗見ならん。〔『言志録』第217条〕

【意訳】
忍という字は、病根を完全に除去することではない。いわゆる勝ち気や自慢や怨みや欲望は、忍によって抑えられているに過ぎない張公芸が忍の字を百回書いたという故事は、たぶん事実ではないだろう

【一日一斎物語的解釈】
忍耐は大切なことである。しかし、忍耐というのは感情が発露するのを押さえ込むだけである。石田梅岩の言うように『忍は忍なきに至ってよしとす』というレベルを目指したいものだ。


今日のストーリー

今日の神坂課長は、雑談コーナーで新美課長と休憩中のようです。

「そういえば新美、また無駄な抵抗を始めたんだってな」

「げっ、誰から聞いたんですか?」

「俺には優秀なスパイがたくさんいるんだ」

「神坂さんだけには知られたくなかったんですけどね」

「嫌われたもんだな」

「今に始まったことじゃないです」

「やかましいわ!!」

「現在、人生最高体重を更新中でして、このままでは今持っているスーツが全部着れなくなりそうなんです」

「それでまたダイエットか。あ、そうだ。これ食べるか?」

神坂課長はポケットからチョコレートを取り出したようです。

「そういうことするから嫌われるんですよ!」

「要らないのね。このチョコは美味しいらしぞ。イタリア製の最高級チョコレートだからな。こんな小さな一粒で500円もするんだ」

「マジですか?」

「絶妙な甘さと苦みのハーモニー。一度食べたら忘れられない味なんだそうだ」

「そ、それは美味しそうですね」

「どれ、どれ。うん、これは旨い!! あと一粒ある。食べちゃっていい?」

「どうぞ。私は我慢します!」

「我慢だなんて言っているようじゃ、今度のダイエットも失敗に終わるのは見えてるな」

「ダイエットは自分との戦いですからね。今回は必ずやり切りますよ!」

「食い物を我慢することがダイエットじゃないだろう。肥満の根本は、そこじゃない。運動不足こそ、デブの真の原因じゃないの?」

「なんと言われようと、今回は痩せます。あーっ!」

「なんだよ、モグモグ」

「最後の一粒が!!」


ひとりごと 

我慢をするのではなく、根本原因を除去せよ、というのが本章の主旨でしょうか?

言われてみると、我々は意外と根本原因に目を向けずに、枝葉末節に拘っている傾向がありそうです。

我慢をしなくても良いように、問題を元から絶つことを考えましょう!


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第2482日 「忠」 と 「孝」 についての一考察

今日のことば

原文】
君に事えて忠ならざるは、孝に非ざるなり。戦陣に勇無きは、孝に非ざるなり。曾子は孝子、其の言此の如し。彼の忠孝は両全ならずと謂う者は、世俗の見なり。〔『言志録』第216条〕

【意訳】
君主に仕えて忠義を尽せないのは、孝とは言えない。戦場で勇気を起さないことも、孝とは言えない。孔子の高弟である曾子はそう言っている。忠と孝を共に尽くすことはできないという人がいるが、世俗の意見に過ぎない

【一日一斎物語的解釈】
上司に仕えて忠義を尽せないのは、孝とは言えない。また、自分が任された仕事に対して勇気を発揮できないことも、孝とは言えない。忠と孝は別のものではない。どちらも自分の全力を尽くすという意味では同じ徳目なのだ。


今日のストーリー

今日の神坂課長は、佐藤部長の部屋にいるようです。

「『論語』には親に孝を尽くせないようでは、主君に忠を尽くすことは覚束ない、といった言葉がありますよね。あの言葉は衝撃でした」

「神坂君が会社で問題行動をした原因はそこにあったと気づいたんだっけ?」

「部長に問題行動と言われると、それもグサッときますけど、そのとおりです」

「あ、ごめんね」

「たしかに親孝行な子で、会社で上司に楯突いているような人はいないでしょうからね」

「そうだよね。しかし、会社に入ってから上司に楯突くのはいけないけど、仕事で成果を出せないことも孝とは言えないよね」

「え、なぜですか?」

「会社で良い仕事をして立身出世することは、親御さんを誇らしい気持ちにさせるだろうからね」

「なるほど。逆の場合は、親としては歯がゆいし、残念に思うわけですね」

「うん。全ての親御さんがそうだとは言わないけれど、自分の育て方が悪かったのだろうかと自分を責める親御さんもいるかも知れないよね」

「そうかぁ。私は自分の子が社会人になるまでは、親として責任をもって育てるべきだとは思いますけど、その後に仕事で成功するか否かは子供の問題だと思うし、正直元気でいてくれればそれで良いですけどね」

「それが親の本心かも知れないね」

「はい。それでも、やっぱり息子が会社で出世したと聞けば、それを嬉しく思わない親はいないでしょうけど」

「神坂君は、言葉遣いや行動は乱暴だったけど、なぜか上司や先輩に可愛がられるところがあったよね」

「そうでしょうか?」

「きっと、神坂君自身が思っているほど、親不孝な子供ではなかったんじゃないかな」

「そうだといいですけど…。母からはよく親不孝者のドラ息子と言われて育ちましたから(笑)」

「ははは、どうやら神坂家は皆さん口が悪いんだね!」

「あ、それだけは間違いありません!!」


ひとりごと 

儒学では、孝と忠は両立するものと捉えます。

対象が親か上司かというだけで、目上の人を敬い、時に愛することに変わりはないということでしょうか?

愛のない敬はなく、敬のない愛もない、と小生は思っています。

上司を親のように敬愛してもらうためにも、上司は部下を我が子のように育てていく必要があるのでしょう。

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第2481日 「賢相」 と 「良将」 についての一考察

今日のことば

原文】
孝子は即ち忠臣にして、賢相は即ち良将なり。〔『言志録』第215条〕

【意訳】
親孝行な人は上司に仕えても忠を尽くすものであり、国を治めても賢い大臣は軍隊を率いれば優れた将軍となるものだ

【一日一斎物語的解釈】
上司に敬意をもって仕事ができる部下を求めるなら、親孝行の人を選ぶべきである。また組織をまとめることができるリーダーは、営業部門を率いても良い結果を残すことができるものである。


今日のストーリー

今日の神坂課長は、大累課長とランチ中のようです。

「神坂さん、驚きましたね、Y社の営業本部長に就任した影山さんは、営業未経験らしいですよ」

「そうらしいね。菊池君も驚いてたよ」

「あんなマンモス企業の営業トップに未経験者を抜擢するなんて、どういう考えなんでしょうかね?」

「菊池君によると、影山さんというのは総務や経理、人事の長を歴任してきた人で、どの部署でもめまぐるしい成果を上げているらしいんだよ」

「だからって、営業は別じゃないですかね?」

「いや、人をまとめることができるなら、不可能ではないと思うな」

「もし、Y社の営業部門に神坂さんみたいな人がいたら、絶対納得しないですよね」

「俺を例に出すな。お前も一緒だろ!!」

「ということは、神坂さんも納得できないんでしょ?」

「そりゃ、営業でバリバリやってきた人からすれば、納得しづらいところはあるだろう。でも、滝沢会長のことだから、何か確信があるんじゃないのかな」

「神坂さんは、滝沢会長を尊敬していますもんね」

「先代の中山会長、そして滝沢会長は、凄い人だよ。ライバル企業のトップではあるけど、この業界をリードしてきた先人だし、尊敬するのは当然だろう」

「ちょっと前は、会長派と社長派に分かれて結構ゴタゴタが続いていたので、ここで滝沢さんがカードを切ったという感じですかね?」

「そうだろうな。影山さんのお手並み拝見というところだな」

「営業のトップが逆に総務や人事部門を統括することも可能なんでしょうかね?」

「営業のマネージャーとして、自分が動かずに、メンバーを動かせる人なら可能なんじゃないか?」

「自分がやらないと我慢できないタイプは駄目だということですか?」

「うん」

「どうします、もし大竹さんが営業部長になったら?」

「タケさんはないだろう。そもそも、総務部門もちゃんとまとめられてないんだから(笑)」


ひとりごと 

マネジメントという仕事は、業務内容を事細かく把握しなくてもできるのかも知れません。

それよりも、いかにメンバーに専門性を持たせ、各自の能力を発揮させるかを考えることが重要なのでしょう。

要するに、メンバーの長所を見い出し、そこを伸ばすような指導をすれば良いわけです。

そういう意味では、営業未経験者であっても、営業部門を統括することは可能ははずです。

むしろ、マンネリ化した組織を活性化するには、未経験者に舵を取らせることも必要なのかも知れませんね。


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第2480日 「瞑想」 と 「中庸」 についての一考察

今日のことば

原文】
深夜闇室に独坐すれば、群動皆息み、形影倶に泯(ほろ)ぶ。是に於いて反観すれば、但だ方寸の内烱然(けいぜん)として自ら照す者有るを覚え、恰(あたか)も一点の燈火闇室を照破するが如し。認め得たり、此れ正に是れ我が神光霊昭の本体なるを。性命は即ち此の物。道徳も即ち此の物。中和位育に至るも、亦只だ是れ此の物の光輝、宇宙に充塞する処なり。〔『言志録』第214条〕

【意訳】
真夜中、真っ暗な部屋に独りで坐ってみると、総ての動きがやみ、影も形もないようである。そこで深く考えてみると、心の内には明らかに自らを照らすものがあることを悟り、あたかも一つの燈火が暗室を照らすようである。これが正にわが心の不思議な輝きを放つ本体であることに気付く。『中庸』にある性命も、道徳もこれであろう。『中庸』にあるように、すべてが程良く過不足なく、天地各々その位に安んじ、万物が化育するといったのも、ただこの不思議な光が全宇宙に充ち塞がっているに過ぎないのだ

【一日一斎物語的解釈】
中庸であることが大切であり、やり過ぎも良くない、不足するのも良くない、と言われると迷いが生じてしまう。しかし、そうした中庸の心というのは学びとるものではなく、本来は生まれたときから与えられているのだ。時には静かに自分の心と対話をすることで、天地との調和を図ることも必要である。


今日のストーリー

今日の神坂課長は、営業1課の新美課長とランチ中のようです。

「最近、寝る前に5分間だけ瞑想を始めたんですよ」

「最近じゃなくて、昔からお前は迷走してるじゃないか!」

「それ、メイソウ違いですよ!!」

「え? あー、座禅とかそういうの?」

「わかっててわざと言ってるでしょ。しかし迷走のお陰で、そんな嫌味な先輩でも可愛く思えるようになってきました」

「やかましいわ! そんなにすぐに効果が出るかよ!」

「これでももう3ヶ月続けてますからね。不思議なんですけど、最近は瞑想を始めると、心の真ん中に何か光のようなものを感じるんです」

「気のせいじゃないの?」

「それが次第に大きくなってきたんですよ。これって心の本体じゃないかなと思っているんです」

「さあな。で、その光を感じるようになってから何が変わったんだ?」

「小さなことで感情を揺さぶられることがなくなりました。さっきみたいな嫌味を言われても。これって中庸ってやつじゃないですかね?」

「過不足なく、ど真ん中にいるっていう中庸か?」

「はい」

「そうなのかな? お前みたいなデブでも、瞑想できるんだな」

「デブは関係ないでしょ! と怒ると思ったでしょ?」

「おっ、怒らないのか?」

「はい。神坂さんはそうやって人の欠点をしてきする可哀そうな人だと思えるようになりましたから」

「ムカつくな! しかし、これで頭に来たらダメなんだな。よし、俺も瞑想してみるかな」

「神坂さんは昔からずっと迷走してるじゃないですか!」

「お前、嫌味な性格と人の真似しかできないオリジナリティの無さは全然変わってないぞ」

「ダメだ、いまのはムカつく!!」


ひとりごと 

ここに書かれている一斎先生の言葉については、実体験がないので語れません。

そこで、きっとこんな感じなのかな?というところをストーリーにしてみました。

一日の最後に姿勢を正して瞑想する。

必要なことなのかも知れませんし、この章句を読むたびにやってみよかと思いながら実行できていない自分が恥ずかしいです…。


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第2479日 「罪」 と 「罰」 についての一考察

今日のことば

原文】
体膚(たいふ)の垢汚(こうお)、化して蟣蝨(きしつ)と為れば、刷除(さつじょ)せざるを得ず。又此の物も亦吾が皮毛の末に生ずる所たるを思念すれば、猶お殺すに忍びず。大人の心、天地万物を以て一体と為す。其の刑を恤(あわれ)み罰を慎むは、即ち是れ此の念頭と一般なり。〔『言志録』第213条〕

【意訳】
自分の身体から出た垢や汚れが虱(しらみ)となれば、これを取り除かざるを得ない。しかし、この虱も自分の皮膚や毛髪から生じたものだと考えると、殺すには忍びない。立派な徳のある人の心は、天地万物と一体化している。そのような人が刑罰を気の毒に思い、慎重に対処するのは、こうした考え方と同じなのだ

【一日一斎物語的解釈】
虫であっても、人間と同じように天地から生まれた物だと考えると、虫を殺すことも躊躇せざるを得ない。まして相手が同じ人間であれば、少しくらい問題があったところで、それを責めたり、非難したり、処罰を与えるようなことはできないはずだ。


今日のストーリー

今日の神坂課長は、元同僚・西郷さんが主査する読書会に参加しているようです。

「孔子がこんなに人を叱ることがあるのですね?」

「この宰我という弟子は、『論語』の中ではいつも叱られているんだよ」

「昼寝したくらいで、可哀そう」

「ははは。湊さん、きっと昼寝だけが理由ではないんじゃない?」

「え、じゃあ、やっぱり昼間から女と?」

「それは、ちょっと学者先生の勘繰りが過ぎるよね。残念ながら、真の理由はわからないので、学者先生も想像たくましく色々な説を出しているけどね」

「各先生の意見がここまで分かれる章句も珍しいですね」

「それだけ孔子の叱り方が尋常じゃないということだろうね」

「でも、人の行為には必ず理由がありますよね。結果が悪い行為であっても、決して悪いことをしようとしたわけじゃないというケースもあります」

「以前の神坂君はよく頭ごなしに叱ってたよね」

「はい。それでサイさんに、今の言葉を言われたんです(笑)」

「そもそも会社で、初めから悪いことをしてやろうと思っている社員さんはいないだろうからね」

「ところが宰我には何かそうした悪いことを感じさせるものがあったんでしょうね。だから、孔子はあれほど激高したんだろうなぁ」

「あ?」

「どうしたの、湊さん?」

「この前、娘が神棚の水を飲んだので、理由も聞かずに叱ってしまったんです。何か理由があったのかも知れない…」

「うん、喉が乾いたからという理由ではないかもね?」

「ちょっと、聞いてきます」

「ははは。ここがオンラインの良いところだね」

湊さんは、画面をオフにして娘さんのところに行ったようです。

「皆さん、理由がわかりました! 娘はバスケットボールをやっているんですけど、足を捻挫してしまって、どうしても3日後の試合までに治したかったから神棚の水を飲んだんだそうです」

「なんで、神棚の水を飲むと治ると思ったのかな?」

「私がお水を変えるときに、そのお水を植物にあげるんです。『神様の水だから、元気になるよ』って言いながら」

「それを見てたんだね、娘さん」

「うー、愛おしい!」

湊さんは涙ぐんでいます。

「やっぱり叱る前にちゃんと理由を聞くべきでした」

「それって、子育ても部下指導も一緒だね。簡単に叱ったり、罰を与えたりする前に、その人を信じてあげることが大切なんだな」


ひとりごと 

ここで取り上げている『論語』の章句はこれです。

宰予(さいよ)、晝(ひる)寢ぬ。子曰わく、朽木(きゅうぼく)は雕(ほ)るべからず、糞土(ふんど)の牆(しょう)は杇(ぬ)るべからず。予に於てか何ぞ誅(せ)めん。子曰わく、始め吾人に於けるや、其の言(ことば)を聴きて其の行を信ず。今吾人に於けるや、其の言を聴きて其の行いを觀る。予に於てか是(これ)を改む。

意味は、
宰予がだらしなく昼寝をしていた。
先師が言われた。「腐った木には彫刻することはできない。ぼろぼろの土の垣根には上塗りをしても駄目だ。そんな怠惰なお前をどうして責めようか.責めても仕方のないことだ」。
先師は又言われた。「私は今までは、人の言葉を聞いてその人の行いを信じた。だが今は、その人の言葉を聞いても、その行いを見てから信じるようにしよう。お前によって人の見方を変えたからだよ」。
なぜ、ここまで孔子が激しい言葉で叱責したのか、多くの学者先生の意見が分かれる章句です。
しかし、人の行為には必ず理由があります。
まず叱る前に、その理由を聞くことをお勧めします。
もしかしたら、行為は悪でも動機は善であるかも知れないのですから。


kamidana1
プロフィール

れみれみ