一日一斎物語 (ストーリーで味わう『言志四録』)

毎日一信 佐藤一斎先生の『言志四録』を一章ずつ取り上げて、一話完結の物語に仕立てています(第1066日目より)。 物語をお読みいただき、少しだけ立ち止まって考える時間をもっていただけたなら、それに勝る喜びはありません。

江戸末期、維新を成し遂げた志士たちの心の支えとなったのが佐藤一斎先生の教えであったことは国史における厳然たる事実です。
なかでも代表作の『言志四録』は、西郷隆盛翁らに多大な影響を与えた箴言集です。

勿論現代の私たちが読んでも全く色褪せることなく、心に響いてきます。

このブログは、『言志四録』こそ日本人必読の書と信じる小生が、素人の手習いとして全1133章を一日一章ずつ拙い所感と共に掲載するというブログです。

現代の若い人たちの中にも立派な人はたくさんいます。
正にこれから日本を背負って立つ若い人たちが、これらの言葉に触れ、高い志を抱いて日々を過ごしていくならば、きっと未来の日本も明るいでしょう。

限られた範囲内でも良い。
そうした若者にこのブログを読んでもらえたら。

そんな思いで日々徒然に書き込んでいきます。

第3347日 「命」 と 「数」 についての一考察

今日のことば

 

【原文】

人命には数有り。之を短長する能わず。然れども、我が意、養生を欲する者は、乃ち天之を誘(いざな)うなり。必ず脩齢(しゅうれい)を得る者も、亦天之を錫(たま)うなり。之を究するに殀寿(ようじゅ)の数は人の干(あずか)る所に非ず。〔『言志耋録』第288条〕

 

意訳

人間の命にはさだめがある。それを自分の意志で短くしたり長くすることはできない。しかし、自らの意志によって摂生をしようとする者は、実は天が導いてそうさせているのである。長寿の者もまた天がその命を与えるのである。これを突き詰めていくと、長寿や若死するさだめについては、人が関与することのできないことなのだ。

 

一日一斎物語的解釈

自分の一生の長さを自分で決めることはできない。しかし、与えられた時間をどう生きるかは、自分で決めることができる。

 

 

今日のストーリー

 

今日の神坂課長は、いつもより元気がないようです。
 

「神坂課長、体調が悪いんですか?」

 

石崎君が声をかけたようです。

 

「石崎、人の命なんて儚いものだな」

 

「どうしたんですか?」

 

「JRAの藤原康太騎手が落馬事故で亡くなったんだよ。まだ35歳だぞ」

 

「競馬って、やっぱり危険なスポーツなんですね」

 

「騎手はみんなどこかで覚悟はしているのかもしれないけど、それにしてもなぁ。去年、14年ぶりにG1を勝って久しぶりの美酒に酔ってから、まだ半年も経っていないんだよ」

 

「その時はまさか半年後に自分が亡くなるなんて想像もしていなかったでしょうね」

 

「うん。人の一生の長さは自分では決められないんだよな」

 

「長生きできる運命であって欲しいです」

 

「そうだな。少しくらい不幸だろうと、辛いことを経験しようと、やっぱり生きていたいよな」

 

「はい。大成功して早死にするより、平平凡凡に長生きする方がいいです」

 

「そのとおりだよ。それが一番幸せなのかもな。ただ、明日は藤原康太騎手が生きたいと思った一日だ。生きられる俺たちは無駄な生き方はしないように大事にしよう!」

 

「はい。自分にできることは精一杯やれる毎日を心掛けます! 藤原騎手、どうか安らかにお休みください」

 

二人は目を瞑り、静かに合掌しました。

 

 

ひとりごと

 

昨日、二人のスポーツ選手の訃報が飛び込んできました。

 

ひとりは元横綱・曙太郎氏、享年54歳。

 

もうひとりはJRAの藤原康太騎手、享年35歳。

 

藤原騎手は、落馬事故により帰らぬ人となっています。

 

昨年のG1、マイルチャンピオンシップで、当日の乗り替わりにもかかわらず、見事な机上で14年ぶりのG1制覇を成し遂げ、先月には通算800勝を達成したばかりでした。

 

つくづく、自分の死に時は自分で決められないことを教えられました。

 

朝目覚めるだけでも奇跡なのかも知れません。

 

毎日を楽しく、精一杯生きていきましょう!

藤原康太騎手、曙太郎さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。


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第3346日 「敬」 と 「養生」 についての一考察

今日のことば

 

【原文】

道理は往くとして然らざるは無し。敬の一字は固と修身の工夫なり。養生の訣(けつ)も亦一箇の敬に帰す。〔『言志耋録』第287条〕

 

意訳

物事の道理というものは、どこへ行こうとも変わることのないものである。「敬」という文字は元来、自分の身を修めるための工夫を指す言葉であるが、養生をする秘訣もまさにこの「敬」に帰するのだ。

 

一日一斎物語的解釈

原理原則は不動のものである。敬とは本来、修身の工夫を指す言葉であり、しかも健康であるための秘訣でもあるのだ。

 

 

今日のストーリー

 

今日の神坂課長は、元同僚・西郷さんと食事をしているようです。

 

「この前、佐藤部長と話をしていたんですけど、『敬』とは、親孝行の秘訣だと教えてもらいました」

 

「さすがは博学の佐藤さんだね」

 

「サイさんは、『敬』をどう定義しているんですか?」

 

「言葉の意味としては、わが身を慎むことを指すから、修身の工夫を指す言葉だと理解しているんだけど、それに加えて、養生の秘訣だとも思っているよ」

 

「養生の秘訣ですか?」

 

「うん。わが身を慎むとはすなわち多くを求めないということでもあるよね?」

 

「そうですね、足るを知ることが大事だと思っています」

 

「ということは、暴飲暴食は敬にあらず、ということになるよね?」

 

「たしかにそうですね。そうかぁ、お酒の飲み過ぎも敬にあらずなんですねぇ(笑)」

 

「お酒で失敗する人は多いよね。歴史上の偉人ですら、お酒で失敗した人は数知れずだからね」

 

「親孝行というのも身につまされましたが、暴飲暴食を慎むことが『敬』

だというのは、一層腹に落ちますね(笑)」

 

「儒学の教えは、いかに日常に落とし込むかが大事なので、なるべく日々の行為に落とし込むようにすべきだよ」

 

「はい。最後にもう一杯どうですか?って言うつもりだったんですけど、もうやめておきます」

 

「締めのラーメンもやめておく?」

 

「うぉー、究極の選択だ!!」

 

 

ひとりごと

 

「敬」と「養生」が結びつくとは、ちょっと意外ですよね。

 

しかし、「敬」とは慎みですから、飲食を慎むこともまた「敬」なのです。

 

それゆえ「敬」を実践すると、人間関係が良好になるだけでなく、わが身の健康をも維持できるということです。

 

「敬」を日々の実践に落とし込みましょう!


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第3345日 「父母」 と 「遺産」 についての一考察

今日のことば

 

【原文】

人道は敬に在り。敬は固より終身の孝たり。我が軀(み)は親の遺(い)たるを以てなり。一息尚お存せば、自ら敬することを忘る可けんや。〔『言志耋録』第286条〕

 

【意訳】

人として生きる基本の道は身を慎むことにある。身を慎むとは、もちろん生涯親孝行をすることである。自分の身体は親の遺体だと考えれば、呼吸している間(つまり生きている間)は自らを慎むことを忘れてはいけない。

 

【一日一斎物語的解釈】

自分の身体は親の遺体でもある。つねにわが身を労わることが、すなわち孝行となるのだ。

 

 

今日のストーリー

 

今日の神坂課長は、佐藤部長とランチに出かけているようです。

 

「昨日、久しぶりに実家に電話したんです。そうしたら、その間に母親の声が一段しわがれたように感じてショックを受けました」

 

「お母さまは、今年いくつになるの?」

 

「今年で70歳です。日に日に老いて行くような気がします」

 

「まだまだ若いよ。女性の平均年齢はもう85歳を超えているんだからね」

 

「そう思ってはいたんですけどね……。そんな状態でも、自分のことより私のことを心配するんですよね(笑)」

 

「それが親というものじゃないの」

 

「はい。わが身は父母の遺体でしたよね。順番が逆転しないように、自分の身体をもっと大切にしないといけませんね」

 

「そうだよ。わが身を大切にすることこそが、最高の親孝行であり、『敬』の発揮でもあるんだからね」

 

「親孝行は、『敬』でもあるんですね?」

 

「うん。『敬』とは、己を慎むこと、言い換えれば我が心を空にして相手に対することでもある。そして人生において一番長い期間に渡って『敬』の鍛錬を積む機会を与えてくれるのが両親だとも言えるんじゃないかな」

 

「はい。いまこうして私がここにいるのも、両親が無償の愛でなにもできない私を育ててくれたからです。そう思ったら、やはり感謝の気持ちで一杯になります」

 

「その気持ちをご両親が天寿を全うするまで注ぎ続けることができれば、『敬』の基礎鍛錬は無事卒業ということになるんじゃないかな」

 

「『敬』の基礎鍛錬はぜひとも卒業して、応用編に入りたいです(笑)」

 

「卒業せずとも、既に応用編の鍛錬は始まっているのかも知れないよ!」

 

「あっ、たしかにそうかも知れません。応用編も怠らず精進します!」

 

 

ひとりごと

 

「わが身は父母の遺体」という言葉は、『孝経』に掲載されています。

 

自分の身体は、父母が残してくれた大切な遺産なのでしょう。

 

そんなわが身を粗末にすることほど、親不孝なことはありません。

 

わが身を労り、大切にすることこそが、孝であり、敬でもあるのです。


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第3344日 「先憂」 と 「先楽」 についての一考察

今日のことば

 

【原文】

天道・人事は皆漸を以て至る。楽(たのしみ)を未だ楽しからざるの日に楽しみ、患(うれい)を未だ患えざるの前に患うれば、則ち患免る可く、楽全うす可し。省みざる可けんや。〔『言志耋録』第285条〕

 

【意訳】

天地自然の出来事も、人間の行なうことも、すべて徐々に変化するものである。楽しいことをまだ周囲が気づく前に楽しみ、心配なことをまだ周囲が気づく前に心配しておけば、心配事を避けることができ、楽しみを全うすることができる。この点をよく省察しておくべきだ。

 

【一日一斎物語的解釈】

リーダーの立場にある人は、人が気づく前に患い、人が気づく前に楽しみを味わうものだ。こうしていれば、大きなトラブルを回避でき、楽しみを充分に享受できるはずである。

 

 

今日のストーリー

 

今日の神坂課長は、大累課長と野球談議をしているようです。

 

「大丈夫ですか、ジャイアンツ? けが人続出じゃないですか」

 

「君は表面的なところしか見ていないんだなぁ。俺は、とても楽しんでいるぜ」

 

「あんなに勝ち負けに一喜一憂していた人が、どういう風の吹き回しですか?」

 

「今のジャイアンツには将来有望な若手がたくさんいるんだよ。3年から5年先にはすごいチームになることが見えるんだよ」

 

「将来の楽しみを先取りして楽しんでいるってことですか?」

 

「そういうこと。だから、今は経験を積んでくれればいいんだよ。そう考えたら毎試合楽しいぞ」

 

「新しい野球観戦のスタイルを身につけましたね(笑)」

 

「今まではどちらかというと、将来に起こる災いを先取りして心配してた感があるからな。気分が全然違うよ」

 

「でも、古典の世界ではたしか、『人に先んじて憂い、人の後に楽しみを享受する』ということじゃなかったですか?」

 

「あぁ、先憂後楽な。リーダーという立場で仕事を考えるときはその方がいいと思うけど、野球観戦に関する限り、先憂先楽の方がいいなと思ったんだ。いや、先憂も要らないな。先楽だけでいい!」

 

「その先楽という見方は、我々が若いメンバーを見るときにも必要ですね」

 

「なるほど、たしかに若いメンバーに対しては、目先のミスには目を瞑って、将来にそれが糧となって成長してくれることを楽しみにするというのはアリだな」

 

「きっと今の部長たちは、そういう見方で私たちを見守ってくれていたんじゃないですかね?」

 

「間違いないな。あれだけハチャメチャな俺たちをよく我慢して使ってくれたよな。その忍耐力に心から敬意を表します!」

 

「激しく同意!」

 

 

ひとりごと

 

兆しをつかんで、将来の楽しみを先取りして楽しむというのは面白いですね。

 

まさにいま小生はそんな気持ちで、読売ジャイアンツを応援しています。

 

そういう見方をすると歯がゆい試合も楽しむことができます。

 

そして、この感覚は若手社員さんを見守る際にも積極的に取り入れていくべきですね。


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第3343日 「艱難」 と 「現在」 についての一考察

今日のことば

 

【原文】

人は皆往年の既に去るを忘れて、次年の未だ来らざるを図り、前日の已に過ぐるを舎てて、後日の将に至らんとするを慮る。是(ここ)を以て百事苟且(こうしょ)、終日齷齪(あくさく)して以て老死に至る。嘆ず可きなり。故に人は宜しく少壮の時に困苦有り艱難有るを回顧して、以て今の安逸なるを知るべし。是れ之を自ら本分を知ると謂う。〔『言志耋録』第284条〕

 

【意訳】

人間という生き物は誰でも、過ぎ去った年のことは忘れて、これからやってくる翌年のことを考え、昨日のことを真摯に顧みることをせずに、来てもいない明日のことを心配する。そんなことだから、万事をいい加減に処理し、小事にこだわった挙句、やがて老いて死んでいくことになるのだ。なんと哀しいことではないか。それ故に、人間は若い頃の苦しみや辛い出来事をよく振り返って、今現在が平穏無事であることに感謝をすべきだ。これこそが自分に与えられた本分を尽くすということなのだ。

 

【一日一斎物語的解釈】

まだ訪れてもいない明日を憂うより、来し方を顧みて、今現在を平穏に過ごせていることを知るべきである。

 

 

今日のストーリー

 

今日の神坂課長は、新美課長と雑談をしているようです。

 

「最近、中高年のうつ病が増えているらしいな」

 

「自分がうつ病になるなんて考えてもいなかったという人が結構うつ病になっているらしいですね」

 

「それって要するに、起きるかどうかもわからないような未来のことを心配する人たちなんだと思うんだよ」

 

「そうかも知れませんね。過去の出来事にいつまでも捉われたり、また将来のことを心配したところで、それはどうしようもないことですもんね」

 

「そうなんだよ。それよりも今この時を精いっぱい生きることが大事だと思うんだよな」

 

「未来のことを心配しても始まりませんから、むしろ過去にあった辛い出来事を心に刻んで、それを乗り越えることができたからこそ平穏な今があるという現実をよく受け留めた方がいいですよね」

 

「なるほどね。たしかにそうだな。平穏無事だから将来のことを心配している暇があるんだよな(笑)」

 

「そうです。逆境の真っただ中にいるときは、将来の心配なんてしていられませんからね」

 

「この年になれば、誰だってとてつもなく辛い経験の一つや二つはあるもんな。それに比べたら将来のことを心配できる平穏な今に感謝すべきなのかもな」

 

「そう思います。今こうして笑っていられることに感謝して、目の前にある仕事に真剣に取り組むのみですよ!」

 

「いいこと言うねぇ、後輩! しかし、新美ってそんなにポジティブだったっけ?」

 

「実は、仕事と子育てでいろいろ悩んで、うつ病になりかかったんです。そんなときにいつもポジティブに笑っているとある人のことを思い出したら、どうなるかもわからない先のことに心を悩ませることがバカらしくなってきたんですよ」

 

「へぇー、いいね、そういうノー天気な奴は。俺もそういう奴が好きだよ。俺にも紹介してくれよ」

 

「紹介も何も、いま私の横で笑ってますから」

 

「あっ、俺のこと?」

 

 

ひとりごと

 

皆さんは、悩んでも自分で結果をコントロールできないことに頭を悩ませていませんか?

自分で結果をコントロールできない課題とは、つまり他人の課題です。

 

他人の課題でいくら悩んでも、それを解決することはできません。

 

解決できるのは当の本人だけですから。

 

仮題を分離して、自分の課題を見極め、いまなすべきことに力を尽くしましょう。

 

結果は神のみぞ知るということを肝に銘じつつ。


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