一日一斎物語 (ストーリーで味わう『言志四録』)

毎日一信 佐藤一斎先生の『言志四録』を一章ずつ取り上げて、一話完結の物語に仕立てています(第1066日目より)。 物語をお読みいただき、少しだけ立ち止まって考える時間をもっていただけたなら、それに勝る喜びはありません。

江戸末期、維新を成し遂げた志士たちの心の支えとなったのが佐藤一斎先生の教えであったことは国史における厳然たる事実です。
なかでも代表作の『言志四録』は、西郷隆盛翁らに多大な影響を与えた箴言集です。

勿論現代の私たちが読んでも全く色褪せることなく、心に響いてきます。

このブログは、『言志四録』こそ日本人必読の書と信じる小生が、素人の手習いとして全1133章を一日一章ずつ拙い所感と共に掲載するというブログです。

現代の若い人たちの中にも立派な人はたくさんいます。
正にこれから日本を背負って立つ若い人たちが、これらの言葉に触れ、高い志を抱いて日々を過ごしていくならば、きっと未来の日本も明るいでしょう。

限られた範囲内でも良い。
そうした若者にこのブログを読んでもらえたら。

そんな思いで日々徒然に書き込んでいきます。

第1382日 「行動」 と 「時間」 についての一考察

S急便の中井さんが荷物を持ってきてくれたようです。

「毎度、S急便です。あ、佐藤さん、いつもお世話になります」

「ああ、中井君。いつも元気でいいね」

「ありがとうございます。それだけが俺の唯一の自慢ですからね」

「そんなことないよ。勉強熱心なところも素晴らしいなと思うよ」

「そんなに褒めてくれても、何も出ませんよ。稼ぎの少ない運送屋ですから! あ、そうだ。佐藤さん、5分くらい時間ありませんか?」

「いいよ。どうしたの?」

2人は喫茶コーナーに移動したようです。

「実は、また馬鹿なりに悩んでいましてね。佐藤さんにいろいろな本を借りたり、教えてもらったりして読んでいるんですけど、読めば読むほど、いったい運送屋の使命って何なのかがわからなくなってくるんです」

「ほお、それはまた大きな命題だね」

「だって、いくらお客様のことを考えても、結局は価格競争に巻き込まれて、いかに単価を上げるかとか、どれだけたくさん配達できるかだけを考えなければならないんです。身体はボロボロな上に、なんだか最近は心も満たされないんですよね」

「なるほどね。そう言われれば我々の仕事も似たようなところがあるよ。やはり営業としての効率アップや単価アップは大きな課題だからね。それでいて、しっかりとお客様の課題解決をお手伝いしなければならないんだから、大変なことだよね」

「ああ、そうか。同じなんですね。しかし、どうすればいいのかなぁ?」

「そんなとき、古の偉人たちはどうしていると思う?」

「え、どうしてるのかな? その頃に宅配マンや営業マンがいたとは思えないですからね」

「ははは、それはそうだね。中国の古典にでてくる偉人たちをみるとね、大きな共通点が2つあるんだ」

「教えてください」

「ひとつは、強い想いをもつこと。そして、もうひとつは日々時間を惜しまずに働くこと。この2点だけはすべての偉人に共通しているんじゃないかな」

「なるほど。それを聞くと、自分はどっちも中途半端に思えてきました。お客さんのためより自社の売り上げのことを考えていたように思うし、そんな風に悩んでいるだけで、なにひとつ具体的な行動ができていなかったなぁ。やっぱり俺は馬鹿なんだから、考えるより行動を重視しないとダメなんだな」

「そうだね。熱い想いをもって、日々たゆまず行動すれば、先ほどの命題への答えは見えてくるんじゃないかな? ウチの神坂は、とにかくお客様の役に立つと思えば、休日だろうと真夜中だろうとすぐに行動する男でね。そのせいだと思うけど、信頼してくれているお客様とはほとんどお金の話をしないんだよ」

「おお、やっぱり神坂さんは只者じゃないんだな。久しぶりに同志と酒を酌み交わしてみるかな!」


ひとりごと 

なにかを成し遂げるには、

1.何を成し遂げるかを明確に心に抱き、熱く思い続けること

2.そして具体的な行動に移すこと

この2つしかないと、古の偉人は教えてくれています。

彼らは、為すべきことのために時間を使い切った人たちです。

我々にとって一番の資源である時間をどう有効活用するかが重要なのでしょう。


原文】
自ら彊(つと)めて息(や)まざるは天の道なり。君子の以(な)す所なり。虞舜の孳孳(じじ)として善を為し、大禹の日に孜孜せんことを思い、成湯の苟(まこと)に日に新たにし、文王の遑暇(こうか)あらざる、周公の坐して以て旦を待てる、孔子の憤を発して食を忘るるが如き、彼の徒らに静養瞑坐を事とするのみなるは、則ち此の学脈と背馳(はいち)す。〔『言志後録』第2章〕

【意訳】
自ら勉めて休むことなく動いているのが天の道である。そしてそれは君子の踏むべき道でもある。たとえば、舜帝が朝から晩まで善行をなそうとしたのも、夏の禹王が日々一所懸命に善を尽くそうとしたのも、殷の湯王が日々徳を新たにすると記したことや、周の文王が朝から晩まで食事をする暇がなかったということや、周公旦が夜中に良いことを思いついたときは、朝を待って即実行に移したことや、孔子が学ぶことのために発憤して食事をするのも忘れて努力したということなどは、その例といえるであろう。ただ徒に静かに心身を養い、眼を閉じて坐っているだけで良いとする考え方は、吾々の学はとは全く相容れないものなのだ

【ビジネス的解釈】
日々休むことなく行動することが成功の秘訣なのだ。過去の聖人たちは皆、時間を無駄にすることなく、自分の為すべきことを為してきた。ただ、考えているだけで行動しなければ、何も変えることはできないのだ。


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第1381日 「没頭」 と 「結果」 についての一考察

神坂課長が善久君のところにやってきたようです。

「どうだ、善久。最近は良い仕事ができてるか?」

「少しずつお客様の心の扉を開けられるようになってきたという実感はあるのですが、結果につながらないのが悩みです」

「そうか。お前はまだ2年生だからな。焦ることはない、確実に成長しているじゃないか!」

「ありがとうございます。でも、やっぱり結果が欲しいです」

「それなら自分の売り上げのことは、頭から忘れ去ることだな」

「課長、営業マンが売り上げのことを忘れて良いのですか?」

「もちろんだ。いいか、俺は売り上げを上げるなと言っているのではないぞ。売り上げのことを考えるな、と言っているんだ

「売り上げのことを考えずに売り上げを上げろということですか? 理解不能です」

「善久はギター小僧だったよな?」

「え、はい。ずっとバンドをやってます」

「ライブのステージ上では、どんな気持ちでギターを弾いているんだ?」

「そうですねぇ。やっぱり、来てもらったお客さんに喜んでもらいたいと思って演奏しています」

「そうだろう。今日は何人入ったからいくらの売り上げだ、なんて考えないだろう?」

「それはそうですよ!」

「良い演奏ができれば、その結果としてお客さんは次のステージにも足を運んでくれるよな?」

「はい、そのとおりです」

「仕事もそれと同じじゃないか?」

「ああ、そうか。ということは、私はまだまだお客様に心から喜んでもらえるような仕事ができていないということですね」

「善久、『そこまでやるか!』とお客様に言わせるだけの仕事ができているか? お客様から心からの『ありがとう』をいただいているか?」

「・・・」

「売り上げのことなんか忘れて、その2つの言葉をお客様に言わしめる仕事をしてみろ。そうすれば結果的に売り上げは上がるはずだ」

「なるほど」

「あえて言えば、ワーカーズ・ハイになれ、ってところかな?」

「ワーカーズ・ハイですか?」

「マラソンランナーが極限に達するとすべてが楽しく感じるのを、ランナーズ・ハイという。登山者が厳しい登山の途中に快感を感じるのを、クライマーズ・ハイという。だから、仕事に没頭していて、なにもかも忘れてしまう境地をワーカーズ・ハイと言っても間違いではないだろう

「ワーカーズ・ハイか。それを味わえるまで、お客様のために自分のできるベストを尽くしてみます!」


ひとりごと 

一斎先生のこの言葉を読んで、小生は大いに反省しました。

若い頃は、本当に仕事に没頭して毎日夜遅くまで仕事をしていましたが、それがまったく苦だとは思っていませんでした。

ところがいつしか、お客様のために我を忘れて仕事に没頭することを忘れてしまっている自分に気づかされました。

もう一度、ワーカーズ・ハイを味わうべく精進します!


原文】
自彊不息の時候、心地光光明明なり。何の妄念遊思か有らん。何の嬰累罣想(えいるいけいそう)か有らん。〔『言志後録』第3章〕

【意訳】
人が自ら休まず勉め励んでいる時には、その心は明るく光り輝いている。どこにもみだらな思いや遊びたいという思いなどはありはしない。また心に引っ掛かるような患い事や悩み事などもありはしない

【ビジネス的解釈】
仕事に没頭しているときは、心は明るく、余計なことはまったく考えていない。また、うまく行くかどうかと悩むこともない。こうした境地で仕事ができることが望ましい。


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第1380日 「嘘」 と 「誠」 についての一考察

今日の神坂課長は、A県立がんセンターの多田先生を訪ねているようです。

「神坂、少しくらい本を読んだからって、偉そうにするなよ」

「え、そ、そんなことはしてませんよ」

「嘘つけ! 最近、お前が本を読んでいることを自慢していると聞いたぞ!」

「だ、誰からですか?」

「ほら、あの少年のような子だよ」

「石崎ですか! あの野郎、ぺらぺら言い触らしやがって!」

「本に書いてあることをろくに理解もせずに、ぺらぺらしゃべってるのはお前だろう」

「まあ、確かにそうですね。でも、多田先生、良いなと思ったことはどんどん発信しながら、自分のものにしたいという思いもあるんです」

「頭で理解したつもりになっても、実際に行動してみると、いかに理解していなかったかに気づかされる。そして、もう一度本を読み、反省を活かして実践するんだ。そうすれば、得るものは大きいし、人に伝えても伝わるようになる」

「なるほど、おっしゃるとおりです。反省しました」

「その素直さはお前の最大の魅力だな」

「ありがとうございます。ところで、多田先生。実践、実践と言いますが、実践する上で一番大切なことは何ですか?」

「人に嘘をつかないことだな」

「そんな簡単なことですか?」

「馬鹿野郎! 簡単なことじゃないぞ。だいたい、少し前にお前は俺に嘘をついたじゃないか」

「うっ、そうでした」

「俺が言いたいのは、人に心で嘘をつかないことを心がけろ、ということだ」

「心で嘘をつく?」

「そうだ。人間は言葉とは反対のことを考えていることが多い。お前も反省していますと言葉で言いながら、心の中では、帰社したらあの少年をとっちめてやろうと思っているだろう」

「そ、そんなことはないですよ」

「本当か?」

「いえ、考えていました。すみません」

「いいか、神坂。人に嘘をつかないと覚悟するなら、まず自分に嘘をつかないことを覚悟しなければいけないんだ」

「自分に嘘をつかない覚悟ですか?」

「儒学では、自分に嘘をつかないことを『忠、人に嘘をつかないことを『信と呼ぶ。この『忠『信をあわせて『誠と言うんだ」

「ああ、『誠ですか。最近よく『誠』という言葉を目にするのですが、イマイチ意味が分らなかったんです。そういうことなのか?」

「神坂、まずは自分に嘘をつかないことから始めてみろ。自分の心に正直に、真っ直ぐに生きてみろ。そうすれば、どんな結果になろうと後悔することはないはずだ」

「多田先生・・・。(多田先生は、俺が後輩を失って落ち込んでいることを知っているんだな。石崎か、あの野郎、余計なこと言いやがって! でも、きっと心配してくれたんだろうな。今晩、鰻でも奢ってやるかな)」


ひとりごと 

孔子は常に行動を重視します。

言葉は二の次で、まず実践しろと何度も言っています。

「○○したい」と思うだけでは何も変わりません。

思ったら即行動に移して、とにかく一歩を踏み出す。

人生を変えたいなら、それしかないですね!


原文】
孔子の学は、己を修めて以て敬するより、百姓を安んずるに至るまで、只だ是れ実業実学なり。四を以て教う。文・行・忠・信。雅(つね)に言う所は詩書執礼。必ずしも耑(もっぱ)ら誦読を事とするのみならざるなり。故に当時の学者は、敏鈍の異有りと雖も、各おの其の器を成せり。人は皆学ぶ可く、能と不能無きなり。後世は則ち此の学堕ちて芸の一途に在り。博物多識、一過して誦を成すは芸なり。詞藻縦横、千言立ち所に下るは、尤も芸なり。其の芸に堕つるを以ての故に、能と不能有りて、学問始めて行儀と離る。人の言に曰く、某の人は学問余り有りて行儀足らず、某の人は行儀余り有りて学問足らずと。孰(いずれ)が学問余り有りて行儀足らざる者有らんや。繆言(びゅうげん)と謂う可し。〔『言志後録』第4章〕

【意訳】
孔子門下の学問は、修身によって他者を敬する気持ちを育て、人々の気持ちを安らかにすることまで、すべて実践重視の実学・活学である。それを以下の四つの項目にって行うのだ。すなわち文(古の経書を読むこと)、行(篤実な行いをすること)、忠(おのれの本分を尽くすこと)、信(約束を違わないこと)である。つねに孔子が述べているのは、『詩経』や『書経』などの経書を読み、礼をとり守ることであった。必ずしも読み書きだけを学問とは捉えていなかったのだ。それゆえ当時の学者はそれぞれ能力の差はあったものの、それぞれの本分を発揮できたのだ。このように人は誰でも学ぶことができ、能力のある者とそうでない者といった差はないのである。ところが後世(もちろん現代も)はこの学問は堕して芸事のようになってしまった。なんにでも詳しく、一度読めばすべて覚えてしまうのは芸である。詩の才があり、数え切れないほどの文字をあっという間に書き写すなどというもの芸である。このように芸と堕したことによって能力のある者とそうでない者が生まれてしまい、学問が実践とかけ離れてしまったのだ。人の言葉に「ある人は学はあるが実践に疎く、ある人は行動力は十分だが学に欠ける」とある。しかし孔子の学問を学んだのであれば、どこにいったい学問は十分だが実践が不足しているなどという者があろうか?この言葉は大きな間違いだと言わざるを得ない

【ビジネス的解釈】
どれだけインプットをしても、実践し行動に移さなければまったく意味がない。ビジネスはアートではない。最終的に顧客のお役に立てなければ、ビジネスとしての価値はない。


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第1379日 「学び」 と 「澱(よど)み」 についての一考察

今日はJ医療器械の会議室で、就業後に某医療機器メーカーの勉強会が開かれているようです。

「毎週毎週、メーカーさんの勉強会に出てるけど、こう次から次だと、頭の中が整理できないよなぁ」

石崎君が左隣に座った善久君に愚痴をこぼしています。

メーカーさんのプレゼンテーションの後、石崎君の右隣に座っていた営業1課の清水さんが挙手をして質問をしました。

「ご紹介ありがとうございます。製品の仕様についてはよくわかりました。ところで、この製品は、医療機関あるいは患者様に具体的などんなメリットをもたらすのですか?」

「製品的には他社と大きな違いはありませんが、価格なら負けません!」

「わかりました。ありがとうございます」

席に着くと、清水さんが石崎君に話しかけました。

「石崎、この会社とは付き合う必要はないな。安さを一番のウリにしているような会社の製品を扱えば、俺たちまで安売り業者だと思われてしまうからな」

「なるほど。清水さんは、毎週毎週勉強会に出ていて、どんな風に知識を得て、どう活用しているのですか?」

「俺が聞きたいのはさっき質問した一点だけだよ。俺たちの仕事は、お客様である医療機関の課題解決のお手伝いだろう。そうだとすれば、ドクターやコ・メディカル(ドクター以外の医療従事者)にどういうメリットを提供できるかだ」

「はい」

「もうひとつの使命は、この地域に住む人たちの健康な生活をお守りするお手伝いだ。その点でいえば、患者様にどんなメリットを提供できるかだろ?」

「さすがです」

「馬鹿、そんなの当たり前のことだ。それが分っていなければ、売り続けることはできないぞ。自分の売上だけのために頑張ると、いつか必ず頭打ちになるからな」

「トップを守り続けるのは大変なんですね」

「トップであり続けるためには、社内の誰よりも勉強しなければ駄目だ。学びを止めた途端に後輩に追い越されていくからな」

「いつか、僕も清水さんを追い越したいです!」

「絶対無理だな!」

「な、なぜですか!?」

「『○○したい』なんて言っているうちは、絶対に俺を追い抜くことはできない。俺は常に『トップであり続ける』と決めているんだからな。タイやヒラメになったらお終いだよ」

「タイはわかりますけど、ヒラメって何ですか?」

「上司のご機嫌取りばかりする奴のことだよ」

「僕はタイかも知れないけど、ヒラメではないですよ!」

「ははは、わかってるよ。俺はずっとおっさんの背中を追いかけてきた。『いつか必ず追い抜いてやる!』ってな?」

「『おっさん』ってカミサマのことですか?」

「そうだよ。やっと追い抜いたと思ったら、あのおっさんはマネジメントの道を歩き始めやがった。いつの間にか、また俺の前を歩いている気がする。最近はやたら本も読んでいるらしいしな」

「清水さんにとって、カミサマはどんな存在なのですか?」

「ライバルでもあり、良き先輩でもあり、兄貴でもあるかな。あ、これは内緒だぞ。こいうこと言うと、あのおっさんはすぐに調子に乗るからな」

「それなら、よ~く心得ています」


ひとりごと 

仕事に限らず、生きている限り学び続ける必要があります。

学びを止めれば、人生の歩みも止まります。

水は流れているうちはキレイですが、留まると澱みます。

人生を澱ませてはいけませんね。


原文】
此の学は、吾人一生の負担なり。当に斃れて後已むべし。道は固より窮り無く、堯舜の上善も尽くること無し。孔子は志学より七十に至るまで、十年毎に自ら其の進む所有るを覚え、孜孜として自ら彊(つと)め、老の将に至らんとするを知らざりき。仮(も)し其れをして耄(ぼう)を踰(こ)え期に至らしめば、則ち其の神明不測なること、想うに当に何如と為すべきや。凡そ孔子を学ぶ者は、宜しく孔子の志を以て志と為すべし。(文政戊子重陽録す)〔『言志後録』第1章〕

【意訳】
儒学は我々が一生背負っていくべきものである。まさに死ぬまで学びをやめることがあってはならないのだ。道というものは当然極まることがなく、聖人尭や舜の善行でさえ極め尽くすことはできなかった。孔子は十五歳から七十歳に至るまで、十年単位で自らの進むべき道を定め、ただひたすら努め励み、老いが迫っていることすら気づかないほどであった。もし仮に孔子が八十、九十を超えて、百歳まで生きたならば、神のごとくすべてに明るく、人がとても測り知ることのできない境地へと到達したであろうことは、想像に難くない。孔子を学ぶ者は、みなこの孔子の志をしっかりと心に留めて自らの志としなければならない

【ビジネス的解釈】
仕事を続ける限り、学び続ける必要がある。仕事を極めるためには、自分自身を鍛錬し極めていかねばならない。


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第1378日 「準備」 と 「成功」 についての一考察

神坂課長が新聞の朝刊を開いて、いつものように大きな声でひとりごとを言っているようです。

「おいおい、ゴーんさんが逮捕されちゃったよ。日産を立て直した頃は、経営のお手本みたいに囃し立てられたのになぁ」

「驕れる者久しからず、ですかね?」

いつものように、山田さんがひとりごとを引き取ってくれました。

「結局は、内部告発で容疑が浮上したみたいだからね。あれだけの人になると社内に敵も多いだろうから、悪いことをしたら確実にバレるんだろうな」

「すごい人だと思っていたからショックですね。そんなにお金が欲しいのですかね? あれだけの収入を得ているというのに、それでも不正をするなんて・・・」

「欲にはキリがないんだね。俺たちの様なしがないサラリーマンには関係のない世界だ」

「成功し続けるっていうのは、難しいことですねぇ」

「人間って弱いものだからね。あれだけの成功をしてもなお自分を律するというのは並大抵のことじゃないんだろうな。俺ならたぶん同じことやるような気がするもんな」

「大丈夫ですよ、なれないから!」
石崎君が横槍を入れたようです。

「お前に言われなくても分ってるよ! 人間は弱いというたとえ話をしただけだ。本を読まない奴は行間が読めないから困るよなぁ」

「ちぇっ、なんだよ。自分だって最近まで読書なんかしていなかったクセに!」

「おい、クソガキ。それより、例の件の準備はできているんだろうな?」

「大丈夫でーす」

「語尾を伸ばすな。いいか、準備で仕事は8割決まるんだぞ」

「分ってますけど、準備に時間を掛けすぎて出遅れてしまったら元も子もないじゃないですか!」

「うるせぇ、幸運は準備と機会が巡り合ったときに訪れる』というセネカの言葉を知らないのか?」

「知りませんよ。どうせ最近読んだ本に書いてあったんですよね」

「そ、そのとおりだ。(なんでわかったんだ?) いいか、石崎。これ以上は無理だというくらいの準備をしろ。そこまでやれば仮に結果が悪くても納得がいくはずだ。後で後悔をするような準備だけはするなよ

「そこまで準備をしてもうまく行かないことがあるんですか?」

「あるよ。だから8割決まる、と言ったんだ。でもな、準備もせずに偶然うまく行くことがあっても、そんなのは絶対に長続きはしないのさ。カルロス・ゴーンさんがそうだとは思わないけどな」


ひとりごと 

昨晩、衝撃のニュースが飛び込んできました。

仏ルノー・日産・三菱の会長を兼務するカルロス・ゴーン氏が金融商品取引法違反で逮捕されました。

見事な手腕で日産をV字回復させたときは、救世主のように言われたゴーン氏。

きっとそのときは綿密な準備をして、ビジネスを軌道に乗せたはずだと信じたいところです。


原文】
凡そ事を作(な)すには、当に人を尽くして天に聴(まか)すべし。人有り、平生放懶怠惰(ほうらんたいだ)なり。輒ち人力もて徒らに労すとも益無し。数は天来に諉(ゆだ)ぬと謂わば、則ち事必ず成らず。蓋し是の人、天之が魄(たましい)を奪いて然らしむ。畢竟亦数なり。人有り、平生敬慎勉力なり。乃ち人情は尽くさざる可からず。数は天定に俟つと謂わば、則ち事必ず成る。蓋し是の人、天之が衷(ちゅう)を誘(みちび)きて然らしむ。畢竟亦数なり。又人を尽くして而も事成らざるもの有り。是れ理成る可くして数未だ至らざる者なり。数至れば則ち成る。人を尽くさずして而も事偶(たまたま)成るあり。是れ理成る可からずして、数已に至る者なり。終には亦必ず敗るるを致さん。之を要するに皆数なり。成敗の其の身に於いてせずして其の子孫に於いてする者有り。亦数なり。〔『言志録』第244条〕

【意訳】
何か事をなすには、人事を尽くして天命を待つべきである。 ある人間はは平生だらしなくて怠け者であった。一所懸命に力を用いてもなんの益も無い。運は天にまかせるといっていては、何事も必ず不成功に終わる。思うに、このような人は、天がこの人から魂を奪い取って、このようにさせたのであり、これもまた運命である。別のある人は、平生とても慎み深く勤勉である。人としてなすべき道理は、どんな場合でも尽くさなくてはいけない。ただし運は天の定めに従うといっているので、何事も必ず成功する。思うに、このような人は、天がその人の心を誘いだしてこのようにさせたので、つまりこれも運命である。しかしながら、人事を尽くしても成功しない人もいる。この人は道理の上からいえば成功すべきであるが、まだ天運が来ていないからであって、天運が到来すれば成功するのである。これと反対に、人事を尽くさなくとも、たまたま成功することがある。これは道理の上からいえば成功しないはずであるが、運がそこに来たのであって、そんな人は、最後は必ず失敗するものだ。要するにみんな運命なのである。事の成敗がその人の代には表われないで、その人の子孫の代になってから、表われることもある。これも又運命である

【ビジネス的解釈】
何事も、自分にできるベストを尽くして、結果は時の運に委ねるしかない。しかし、準備をしなければ成功はおぼつかない。時に何の準備もしていない人間が成功することもあるが、そういう人間は長続きはしないものだ。


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