【原文】
老人は尤も遜譲を要す。〔『言志耋録』第302条〕
【訳文】
老人は特に人に対して自らへりくだって譲り与える気持を抱くようにしなければいけない。
【所感】
年をとったら、特に人に謙(へりくだ)ることと譲ることを意識する必要がある、と一斎先生は言います。
今日は、営業2課の山田さんに新人営業マンの善久君が同行しているようです。
「山田さん、どうして他の階も空車なのに、屋上階に車を停めるんですか?」
「善久君、病院という所は誰のためにある施設だと思う?」
「患者さんですか?」
「そのとおり。患者様はどこか身体の具合が悪いから病院に来ているはずだよね」
「はい」
「だったら健康で、しかも病院さんにとって一番のお客様ではない我々が、正面玄関の近くに車を停めるのはよろしくないよね?」
「なるほど。私もこれからは山田さんを見習って、車の駐車位置を考えます」
「ありがとう。実は私も、佐藤部長が実践していたことを真似させてもらっているんだよ」
「あー、佐藤部長がされていることなんですか」
「遅れるといけないから、車を降りて歩きながら話そうか」
「はい」
二人は車を降りて、T記念病院の正面玄関から院内に入ったようです。
「病院の廊下を歩く時も真中を歩かずに、左側通行で歩くといいよ」
「これも患者さん優先ですね。そうか、誰が見ているかわかりませんからね」
「うん。でもね、誰かが見ているかも知れないから礼儀正しくするというのは、本当の礼ではないと思うんだ」
「えっ?」
「誰も見ていなくても、いつも同じ行動ができるかどうかが大切なんじゃないかな」
「・・・」
「あっ、市川先生、先日はありがとうございました」
「やあ、山田さん。今日は弟子を連れての営業活動?」
「今年入社した期待の新人です」
「善久敬(たかし)と言います。よろしくお願いします」
「珍しい名前だねぇ。山田さんのような一流の営業マンになるんだよ!」
「はい、頑張ります!」
「素直でいいね。では、失礼」
「市川先生、後ほど内視鏡室に伺います」
「承知しました」
「山田さんは、廊下でドクターやナースとすれ違うときは、必ず立ち止まって挨拶をされるんですね」
「気づいた? お客様への敬意と感謝を私なりに行動に移しているだけなんだけどね」
その翌日、会社帰りに神坂課長と善久君は書店に立ち寄ったようです。
「しかし、山田さんはまるで仙人だなぁ」
「『慎独』って言うんだそうです」
「しんどく?」
「誰もみていない独りのときにも、慎みのある行動をすることだそうです」
「なるほどな。そういえば佐藤部長が言ってたな。『常に人に謙(へりくだ)り、見えない誰かに譲ることができる人であるべきだ』とね」
「見えない誰かに譲る・・・」
「よしこの本を買おうかな。エイッ、さあ、レジに行くよ」
「課長、なんで目をつむって本をとったんですか?」
「部長がさ、書店で本を買う時は、一番上にある手垢のついた、角の折れた本を買うって言ってたんだよ」
「それも見えない誰かに譲ることですね」
「そうなんだ。次にこの本を買う人は、きれいで角の折れてない本を手にすることができるってわけ」
「なんか気持ちいいですね」
「そうなんだけどさ、買う前に汚れてたり折れてたりするのを目にしちゃうと、買うのが嫌になっちゃうからさ。目をつむって一気にレジへ急いだわけ!」
「ははは、課長も修行の身なんですね!」
ひとりごと
小生が師事する永業塾塾長の中村信仁氏は、「少しだけ損をする生き方」を推奨されています。
たとえば、スーパーで牛乳を買うときは、日付の古いものを買うのです。
どうせ数日で飲み終えてしまうのですから、1~2日くらい古くても問題はないですよね。
この物語りの中にある事例などもそうですが、少しだけ損をすることで、「見えない誰かに譲る」ことができます。
小生のような凡人は、大きく損をすることには抵抗があるのですが、少しくらい損をするだけなら受け容れることができます。
そして、この「少しだけ損をする生き方」の最大のメリットは、損をしたはずの自分自身が、なんともいえない爽快感を味わうことができる点にあります。
ぜひ、実施してみてください。