【原文】
気導いて体随い、心和して言順えば、挙手投足も礼楽に非ざるは無し。
【訳文】
心が先に立って身体がこれに従って動き、心がなごやかで、言葉もこれに従っていくならば、一つ一つの動作は、礼儀にかない音楽にかなうものである。
【所感】
志気が体を動かし、心和やかで言葉も穏やかであれば、一挙手一投足すべてが礼楽に適い、礼楽から外れることはない、と一斎先生は言います。
礼楽とは社会の秩序を保つ礼儀と人心を感化する音楽をさし、この2つは孔子が最も重視した、儒学における根本的な規範です。
孔子のアイドルであった周公旦が整えた礼の制度は、礼儀三百威儀三千と言われるほど、細かく規定されていました。
しかし、礼儀というものは、ただ形だけを整えたところで、そこに心が通わなければ形骸化してしまいます。
『論語』の中で孔子はこう言っています。
【原文】
林放、禮の本を問う。子曰わく、大なるかな問いや。禮は其の奢らんよりは寧ろ倹せよ。喪は其の易(そなわ)らんよりは寧ろ戚(いた)めよ。(八佾第三)
【訳文】
林放が礼の根本を問うた。
先師が言われた。
「大事な質問だね。冠婚などの吉礼は、贅沢よりもむしろ倹約に、宗義や服喪の凶礼は、形式よりもむしろ心からいたみ悲しむようにしなさい」(伊與田覺先生訳)
礼の根本は心にあるのであって、形式に拘り過ぎてはいけない、という教えです。
教育においては、まず形から入ることも重要ですが、仕上げは心の教育です。
なぜ靴のかかとを揃えるのか、なぜ椅子をしまうのか、なぜ挨拶をするのかなど、まずは形を実践しつつ、その心を説いていくことが教育の基本であって、それは会社での社員教育においても全くそのまま当てはまるのではないでしょうか。