一日一斎物語 (ストーリーで味わう『言志四録』)

毎日一信 佐藤一斎先生の『言志四録』を一章ずつ取り上げて、一話完結の物語に仕立てています(第1066日目より)。 物語をお読みいただき、少しだけ立ち止まって考える時間をもっていただけたなら、それに勝る喜びはありません。

江戸末期、維新を成し遂げた志士たちの心の支えとなったのが佐藤一斎先生の教えであったことは国史における厳然たる事実です。
なかでも代表作の『言志四録』は、西郷隆盛翁らに多大な影響を与えた箴言集です。

勿論現代の私たちが読んでも全く色褪せることなく、心に響いてきます。

このブログは、『言志四録』こそ日本人必読の書と信じる小生が、素人の手習いとして全1133章を一日一章ずつ拙い所感と共に掲載するというブログです。

現代の若い人たちの中にも立派な人はたくさんいます。
正にこれから日本を背負って立つ若い人たちが、これらの言葉に触れ、高い志を抱いて日々を過ごしていくならば、きっと未来の日本も明るいでしょう。

限られた範囲内でも良い。
そうした若者にこのブログを読んでもらえたら。

そんな思いで日々徒然に書き込んでいきます。

第60日

原文】
古人は経を読みて以て其の心を養い、経を離れて以て其の志を弁ず。則ち独り経を読むを学と為すのみならず、経を離るるも亦是れ学なり。


【訳文】
昔の人は、四書・五経を読んで精神を修養し、経典を離れて己の志す所をわきまえていた。そのように、ただ経典を読むことだけが真の学問ではなく、経典を離れてもそこに真の学問がある。


【所感】
昔の人は、経典を読んで精神を修養するのみならず、経典を離れて実地の生活において己の志の実現を図ったのだ。ただ経典を読むだけが学問ではなく、経典を離れた実際の生活の中にこそ真の学問があるのだ、と一斎先生は言います。


以前にも紹介しました二宮尊徳翁の言葉に、


「夫れ我教は書籍を尊まず、故に天地を以て経文とす。予が歌に『音もなくかもなく常に天地(あめつち)は書かざる経をくりかえしつつ』とよめり、此のごとく日々、繰返し繰返してしめさるる、天地の経文に誠の道は明らかなり。掛かる尊き天地の経文を外にして、書籍の上に道を求むる学者輩の論説は取らざるなり。能く目を開きて、天地の経文を拝見し、之を誠にするの道を尋ぬべきなり」


とあります。


小生のような凡人には、やはり経書などを学ぶことも必要ではありますが、大自然の法則の中にある天地の経文にも耳を傾けなければ、真の学問は修められず、結果として徳を身に付けることもできないということでしょう。


守破離という言葉があります。


ご存知のように、これは芸術や武道などにおける師弟関係のあり方を指す言葉ですが、これになぞらえてこの章を理解するならば、


守:経典を学ぶ


破:経典の内容を実地の生活に活かしつつ学びを深める


離:天地の経文を学ぶ


ということになるでしょうか。


いつかは自然の法則に適った生活ができるように、日々精進が必要です。

第59日

原文】
凡そ遭う所の患難変故、屈辱讒謗、仏逆の事は、皆天の吾が才を老せしむる所以にして、砥礪切磋(しれいせっさ)の地に非ざるは莫し。君子は当に之に処する所以を慮るべし。徒に之を免れんと欲するは不可なり。


【訳文】
総て、人が出逢う所の、憂い悩み、変わったでき事、恥を受けること、そしられること、心に逆らって思い通りにならないこと、これらは皆、天の神が自分の才能を老熟大成させようとするものであるから、いずれも自己の学徳をとぎ磨く素地でないものはない。故に、道に志す人は、かかる境遇に出遇ったならば、いかに処置すべきかをよく考えるべきであって、徒にこれから逃避しようとすることはよくないことである。


【所感】
いわゆる艱難辛苦に遭うことは、辛いことではあるが、これは天が吾々自身を磨くためにあえて課されたものである(と考えるべきである)。だからこそ逃げずに敢えてその試練に立ち向かうことを考えねばならない、と一斎先生は言います。


森信三先生の大変有名なお言葉に


「逆境は神の恩寵的試練なり」


というものがあります。


小生は、50という年齢を前にして、ようやくこの言葉の真の意味に気づきましたが、時既に遅しという面があるのも事実です。


辛く打ちのめされたときこそ自分を磨くチャンスなのだと思うためには、やはり教えの光、すなわち学問を修めていなければなりません。


だからこそ、若い人たちに古典を繙いてもらいたい。


逆境こそ自分を磨いてくれるのだと、あらかじめ知っていてほしい。


小生の残りの人生のライフワークとして掲げているのが、古典をわかりやすく若者に伝えていくことです。


今はそのための準備を着々と進めています。

第58日

原文】
山獄に登り、川海を渉り、数十百里を走る。時有りてか露宿して寝(い)ねず。時有りてか饑うれども食わず、寒けれども衣(き)ず。此れは是れ多少実際の学問なり。夫(か)の徒爾(とじ)に明窓浄几(めいそうじょうき)、香を焚き書を読むが若きは、恐らくは力を得る処少なからん。


【訳文】
山に登り川を渡り海に船出して、数十里の遠方まで旅をし、時には野宿して寝られないこともあり、また時には空腹でも食べ物がないこともあり、寒くても着る衣類がなかったりすることもある。これこそ、実際の活きた学問(実学)となる。何もせずに、明るい窓のあたりで、きれいな机に向かって、香を焚き書物を読むようなことは、実際の力を得ることが少ないであろう。


【所感】
山岳に登り、川を渡り、海に出たり、数十kmの距離を走る。あるいは衣食住に事欠くようなときもある。そうした経験こそが活学と呼べるものであり、ただきれいな机に座って、良い香りに包まれて読書をするだけでは、実力などつくものではない、と一斎先生は言います。


苦労は買ってでもしろ


という言葉があります。


特に若いうちにこうした苦労をしておくことが重要ではないでしょうか。


森信三先生は、『修身教授録』の中で以下のようなお言葉を残しておられます。


「人間は自ら気付き、自ら克服した事柄のみが、自己を形づくる支柱となるのです。単に受身的に聞いたことは、壁土ほどの価値もありません。」


「人間は学校で教わることは、ちょうど地下工事に当たります。その上に各人が独特の建物を建てねばなりません。その建物のうち、柱は教えであって壁土は経験です。」


つまり学校で学んだことや、読書から得た知識は、それをベースにして実際に体験しなければ本当に自分自身の実力にはならない、ということです。


ただし本を読まずに、ただ実体験だけを頼りにせよということではありません。


これについても森信三先生のお言葉をご紹介しましょう。


「人生における深刻な経験は、たしかに読書以上に優れた心の養分と言えましょう。だが同時にここで注意を要することは、われわれの日常生活の中に宿る意味の深さは、主として読書の光に照らして、初めてこれを見出すことができるのであって、もし読書をしなかったら、いかに切実な人生経験といえども、真の深さは容易に気付きがたいと言えましょう。」


読書と実践、双方のバランスをとった生き方を心がけましょう。

第57日

原文】
草木を培植して、以て元気機緘(きかん)の妙を観る。何事か学に非ざらん。


【訳文】
草木を培いそだてて、その生生発育する微妙な気の変化をよく観察すると、どんな事でも学び得る処があるものだ。


【所感】
草木を育て、その生生過程を観ることで、人材育成に関して学ぶことは多い、と一斎先生は言います。


植物はもっとも原始的な生物であるがゆえに、かえってそこに生物本来の姿を見出すことができます。


既に第50日の項でも取り上げているとおり、適宜肥料と水を与えることが重要であって、与えすぎても、やらなすぎても草木は枯れてしまいます。


その微妙な匙加減こそ、人材育成におけるサポートをする上で大いに参考になるのです。


これに関連して、愛知県は東海市出身の学者で、上杉鷹山公の恩師でもあった細井平洲先生の大変有名な言葉があります。


「人の子を教育するは菊好きの菊を作る様にはすまじく、百姓の菜大根をつくる様にすべきこと。百姓の菜大根を作るには一本一株も大切にし、上出来も、へぼも、よきも、わるきも、食用にたてること。知愚、才不才、それぞれ畢竟よき人にさえできれば宜し。」


つまり菊職人のように、自分の好きな色形に菊の花を作り、気に入らないものは捨ててしまうような育て方ではなく、お百姓さんのように、菜っ葉や大根のひと苗ひと苗に精魂を込めて、なんとか食べられる様に育てていく姿勢こそが、人材育成の要諦だということです。


個性を殺さず、むしろ個性を大切に活かしきることが、人を育てなければならないリーダーに求められる大事な要件なのです。

第56日

原文】
勤の反を惰と為し、倹の反を奢と為す。余思うに、酒能く人をして惰を生ぜしめ、又人をして奢を長ぜしむ。勤倹以て家を興す可しとすれば、則ち惰奢以て家を亡すに足る。蓋し酒之が媒(なかだち)を為すなり。


【訳文】
勤勉の反対が怠惰(なまける)であり、倹約の反対が奢侈(ぜいたく)である。私が思うに、酒は人をなまけさせ、また、おごる心を増長させるものである。勤勉・倹約が家運を興させることができるとしたならば、怠惰・奢侈は家を滅亡させるに足るものである。そのようにさせるのは(後者の場合)思うに、酒がその仲介をするものである。


【所感】
勤勉と怠惰、倹約と奢侈はそれぞれ相反するものであるが、酒を飲む習慣が怠惰と奢侈を生む元となることがある。勤勉・倹約が家を繁栄させるとすれば、怠惰・斜視は家を没落させる原因となる。酒を飲むことが家を没落させることになるから気をつけねばならない、と一斎先生は言います。


少々大げさな表現のようにも思えますが、現代より娯楽の少なかった時代における酒は、現代でいえば麻薬やギャンブルのように、人を蝕むということがしばしば見受けられたのでしょう。


勤勉かつ倹約であることが、一家の主として家を興隆させるために最も重要な資質であり、是非ともこれに努めよというのがここでの一斎先生の言わんとすることです。


逆に、怠惰かつ奢侈(ぜいたく)は、一家の主として最も慎むべきことであり、酒を飲む習慣は気を付けないとそれを誘因することになりかねないのだと。


現代の我々は、飲酒に限らず、喫煙・ギャンブル・風俗などに溺れることのないように、自制心を持つことが重要であると読み替えるべきでしょう。


実は小生は、酒やたばこは嗜みませんが、競馬や競艇といったギャンブルには手を染めております。


気分転換的な意味もあってなかなか止めることはできませんが、この一斎先生のお言葉を肝に銘じて、決して家を傾かせることのないように、自制心をもち、あくまでも遊びの範囲に留めます。
プロフィール

れみれみ