【原文】
君子とは有徳の称なり。其の徳有れば、則ち其の位有り。徳の高下を視て、位の崇卑を為す。叔世(しゅくせ)に及んで、其の徳無くして、其の位に居る者有れば、則ち君子も亦遂に専ら在位に就いて之を称する者有り。今の君子、蓋(なん)ぞ虚名を冒すの恥たるを知らざる。


【訳文】
君子とは徳のある人を指していう言葉である。昔は徳のある人は、その徳に相応した立派な社会的地位があった。すなわち、その人の徳の有無・高低によって、地位の崇卑・高下が定まっていた。ところが後世になって、なんら徳を具えておらずに、上位につく者が出てきたので、君子の中にも、高い地位にあるというだけの理由で、君子と称する者があるようになった。今日の君子といわれる人々は、自らそれだけの実を具えていないのに、君子という名をつけられて、どうして恥と思わないであろうか。


【所感】
今も昔も徳と地位のアンバランスさは同じようです。


私達の周囲にも、実力より地位が高い人もいれば、実力以下の地位に留まっている人もいます。
本来、役職や地位とその人の立派さ、徳の高さは別の物であるはずです。



これに関しては、『西郷南洲翁遺訓』の中に次のように記載されています。

「廟堂(びょうどう)に立ちて大政を爲すは天道を行ふものなれば、些(ち)とも私(わたくし)を挾みては濟まぬもの也。いかにも心を公平に操(と)り、正道を蹈(ふ)み、廣く賢人を選擧し、能(よ)く其職に任(た)ふる人を擧げて政柄を執らしむるは、即ち天意也。夫れゆゑ眞に賢人と認る以上は、直に我が職を讓る程ならでは叶はぬものぞ。故に何程國家に勳勞(くんろう)有る共、其職に任へぬ人を官職を以て賞するは善からぬことの第一也。官は其人を選びて之を授け、功有る者には俸祿を以て賞し、之を愛し置くものぞと申さるゝに付、然らば尚書(書經)仲■(ちゆうき)之誥(かう)に「徳懋(さか)んなるは官を懋んにし、功懋んなるは賞を懋んにする」と之れ有り、徳と官と相配し、功と賞と相對するは此の義にて候ひしやと請問(せいもん)せしに、翁欣然として、其通りぞと申されき。」

つまり功ある人には禄を与え、徳ある人には地位を与える、という考え方です。


小生のようにビジネスの世界に身を置く者も、人事考課に際して実績実績のみを重視し過ぎる傾向があります。


人の上に立つ人を選ぶ際には、実績よりも徳があるかどうかを重視することを忘れてはいけません。


政治の世界も二世三世が幅を利かす世の中になっています。


せめて己くらいは、地位を求めず徳を求めて、日々精進したいものです。