【原文】
権は能く物を軽重すれども、而も自ら其の軽重を定むること能わず。度は能く物を長短すれども、而も自ら其の長短を度(はか)ること能わず。心は則ち能く物を是非して、而も又自ら其の是非を知る。是れ至霊たる所以なる歟(か)。


【訳文】
秤(権)はよく物の軽い重い(重さ)をはかることができるが、自分の重さをはかることはできない。物指(度)は物の長い短い(長さ)をはかることができるが、自分の長さをはかることはできない。しかるに、人の心は権や度とは異なって、外物の是非・善悪を定めることができて、その上に自分の心の是非・善悪を知ることができる。これが心をもってこの上もなく霊妙なるものとする所以ではなかろうか。


【所感】
一斎先生が言うように、本来心は外物の是非を判断できるだけでなく、己自身の是非についても判断できるものであるはずです。


ところが実際には心は迷い、時に道を誤ります。
それは生きていく中でいつの間にか心に曇りを生じるからなのでしょう。


曇ったままの鏡では、物を正しく映すことはできません。
常に心を磨き続けることが必要です。


では、なにをもって心を磨くのか?
読書、それも古典を学ぶに如くは無しです。


現にこうして『言志四録』を学ぶことで、常に心を磨き続ける必要性に気づくことができるのですから。