【原文】
辞(ことば)を修めて其の誠を立て、誠を立てて其の辞を修む。其の理は一なり。


【訳文】
経書(四書・五経)における聖賢の言葉の意味をよく修め会得して、誠の道を立てて修養に努めるのと、誠の道を打ち立てて聖賢の言葉を修得するのとは、先後の別はあるが、どちらも道理は同じといえる。


【所感】
これは知識から入るか、実践から入るかは問題ではなく、どちらから入るにしても知識修得と実践を共に行わなければならないという教えだと小生は理解をしています。


そう考えるならば、これは陽明学における知行合一の教えそのものです。


佐藤一斎先生は昌平黌という現在でいえば東京大学にあたる幕府直轄の教育機関のトップの地位にあった方です。
もちろん当時の幕府公認の学問は朱子学であり、陽明学は異端の学とされていました。


しかし一斎先生は、陽明学にも理解を示し、双方のエッセンスを取り入れたバランスの良い教育をされました。


このため、当時は「陽朱陰王」(朱とは朱子学、王とは王陽明、すなわち陽明学を指します)と呼ばれていたそうです。(この呼び名については、親しみを込めてそう呼ばれたという説と、揶揄であるという説があります。)


こうした背景もあり、一斎先生門下からは朱子学者よりも、佐久間象山や山田方谷に代表される陽明学者の方が多かったそうです。


そのようなわけで、『言志四録』にも陽明学的な教えが数多く収載されています。


さて小生は日頃より、勤務先において研修を行う際には、


インプットなくしてアウトプットなし


とよく話をします。


なにか新しいことをやるなら、まずインプットが必要であるという意味です。


しかしこの一斎先生の教えを噛みしめてみると、まずアウトプットしてみて自分の足りなさに気付き、その不足点に関するインプットをするということでも良いことに気付かされました。


これは小生にとっては、非常に大きな学びとなりました。