原文】
能く人を容るる者にして、而る後以て人を責む可し。人も亦其の責を受く。
人を容るること能わざる者は、人を責むること能わず。人も亦其の責を受けず。


【訳文】
人を受け容れる度量の大きい人であってこそ、はじめて人の欠点を責め咎める
資格がある。責められる人も、度量のある人から責められれば、
その責めをよく受け容れる。これに反して、人を受け容れる度量のない人は、
人の短所・欠点を責め咎める資格はない。責められる方としても、
度量のない人の言葉は受け容れない。


【所感】
人を受け容れることができる人であってこそ、人の上に立ち、
指導することができる。また相手もそれを心から受け容れる。
ところが人をすぐに誹謗中傷するような人は、人の上に立つ資格はないし、
そもそも相手も意見を聞くようなことはない、と一斎先生は言います。


一昨日、昨日に引き続き人を受け容れる度量についてのお言葉が続きます。


人を受け容れるとは、すなわち清濁併せ呑むということでしょう。


リーダーとして、メンバーの濁の部分には敢えて目をつぶり、
清の部分を取り上げ評価するからこそ、メンバーはリーダーの意見を受け容れ、
成長していくのです。


ところが濁の部分をいちいち取り上げて、厳しくダメ出しをしていては、
メンバーはリーダーの意見に心から従うということはないでしょう。


心の信頼口座という考え方があります。


日頃、相手の心に信頼という名の預金をどれだけできているかで、
いざというときの指導やアドバイスが大きく変わってくるという考え方です。


たとえば信頼残高がゼロあるいはマイナスという信頼関係の下で、
上司がメンバーに指摘をすれば、メンバーは上司に対し敵意や怨みを
感じてしまうということです。


小生はかつて、こうした心の機微に疎く、結果として人財育成で大きな過ちを
犯しています。


人を受け容れるから、人から受け容れられる。


人を動かしたいのなら、まず自分から動く。


人間教育の根本精神を教えてくれる重要な章句です。