原文】
急迫は事を敗(やぶ)り、寧耐(ねいたい)は事を成す。


【訳文】
何ごともせっぱつまって急いでやれば、事は失敗に終る。あせらずに忍耐して好機を待つならば、物事を成就さすことができる。


【所感】
事を成すことを焦れば失敗するし、じっくりと耐え忍んで実行すれば成功する、と一斎先生は言います。


何ごとも慌てて実行に移すのではなく、あらかじめ計画を立て、しっかりと準備をしてから始めることが重要です。


しかし、それでも一つの事を続けていくうちには、艱難辛苦が待ち受けています。


そこで必要になってくるのが寧耐、言葉を変えれば「ねばり」ではないでしょうか?


これについて、国民教育者の森信三先生は、『修身教授録』の中でこう述べられています。
かなり長文となりますが、そのまま引用します。


人間が一つの仕事を始めてから、それを仕上げるまでには、大体三度くらい危険な時があるもののようです。もちろん事柄にもより、また人にもよることですが、しかしまず全体の三割か三割五分くらいやったところで、飽き性の人とか、あるいはそれほど進んでやる気でなかった場合には、ちょっと飽きの来るものです。この第一の関所を突破するには、意志という言葉が一番ふさわしいでしょう。ところがこの三割か三割五分辺の第一関門をすぎると、当分のうちは、その元気で仕事がすすみましょう。


ところが六割か六割五分辺のところへ来ると、へたってくるのです。そして今度のへたりは、前よりも大分ひどいのが常です。第一の関所で落伍するような人間では問題になりませんが、この第二の関門となると、身心ともにかなり疲れてきますから、まず七、八割の人は、ちょっとへたりこむのです。そこでその際起ち上がるのは、もちろん意志と言ってもよいわけですが、しかし私は、根気という方がもう少し実感に近いかと思うのです。そこで根気を出して、この第二の関門もついに打ち越えたが、しかしその頃には、相当疲れていますから、持ちこたえるという程度の力しか出しにくいのが普通です。


ところが八割前後になりますと、いかにも疲れがひどくなって、どうにも飽きがきて、何とか一息つきたくなるものです。しかしそこで一息ついてしまったんでは、もちろん仕事は成就しません。仮に後から補ってみたところで、どうしても木に竹をついだようなものになってしまいます。同時にねばりという言葉が、独特の意味を持ってその特色を発揮し出すのは、まさにこの第三の関所においてです。


つまり油はほとんど出し切って、もはやエネルギーの一滴さえも残っていないという中から、この時金輪際の大勇猛心を奮い起こして、一滴また一滴と、全身に残っているエネルギーをしぼり出して、たとえば、もはや足のきかなくなった人間が、手だけで這うようにして、目の前に見える最後の目標に向かって、にじりににじって近寄っていくのです。これがねばりというものの持つ独特の特色でしょう。


ひとつのことを「道」と呼べるレベルにまで仕上げるためには、三十年の歳月が必要であると言われます。


松下幸之助翁は、素直の初段になるまでに三十年かかったと述懐しています。


小生も小生なりの「営業道」を極めるために、ねばりにねばって、日々の仕事を処理していく所存でおります。