原文】
堯・舜・文王、其の遺す所の典謨訓誥(てんぼくんこう)は、皆以て万世の法と為す可し。何の遺命か之に如かん。成王の顧命、曾子の善言に至りては、賢人の分上、自ら正に此の如くなるべきのみ。因りて疑う。孔子泰山の歌、後人仮托して之を為すかを。檀弓(だんきゅう)の信じ叵(かた)きは、此の類多し。聖人を尊ばんと欲して、而も卻(かえ)って之が累を為すなり。


【訳文】
堯・舜・文王などの聖王が、『書経』に遺した教訓は、総て万世の法則・規範であって、これにまさる遺命はない。若くして即位した周の成王の臨終の命や曾子の善言は、賢人の本分上のことで聖人のものではない。孔子が作った泰山の歌が『礼記』の檀弓篇に「泰山其れ頽(くず)れんか、梁木其れ壊(かい)せんか、哲人其れ萎(や)まんか」とあるが、七日後に他界したといわれている。これは後世の人が孔子にことよせていったもので、檀弓の文は信用し難い。このようなものは外にも類がある。こんなことは、聖人を尊敬しようとして、かえって禍をなすのである。


【所感】
堯・舜・文王の『書経』にある教訓は、すべて万世に通じる法則とすることができる。これに勝る遺命があるだろうか。成王の臨終の言葉や曾子の善言は賢人のものであり、聖人のものではない。そこで私が疑問に思うのは、『礼記』檀弓上篇に掲載されている、孔子が臨終間際に作ったという「泰山の歌」のことである。孔子は「泰山其れ頽(くず)れんか、梁木其れ壊(かい)せんか、哲人其れ萎(や)まんか」とあり、その七日後に他界したといわれている。これは後世の人が孔子を敬するがあまり事実をゆがめてしまたもので、こうした類のことは多く存在している。聖人を尊敬する気持ちがかえって禍を及ぼしているのだ、と一斎先生は言います。


小生には本章の一斎先生の意図が計りかねます。


一斎先生は禍を及ぼすと断じていますが、古来偉人のイメージをつくり上げるために、こうした事実とは信じがたいエピソードが多く語られています。


釈迦が生まれてすぐに七歩歩いて天と地を指さし「天上天下唯我独尊」と唱えたという話はその代表例でしょう。


ところがそもそも聖人と呼ばれる程の人は、その真実の言動だけで十分に人が学ぶべきお手本となっているのであるから、こうした偶像は不要なのだと、一斎先生は仰りたかったのでしょうか?


あるいは、孔子は支那における最後の聖人ですので、こうした遺訓のような言葉は残しているはずがない、と仰りたかったのでしょうか?


一日一斎を御拝読頂いている皆様のご意見を頂戴したく存じます。


ここまでの数章を通じて一斎先生は、聖人と賢人との違いを遺訓の有無におかれているようです。


賢人はともすれば言葉を濫用するが、聖人はあくまでも泰然自若であって余計な言葉を用いて人を導くことはしない。


それが聖人の聖人たる所以である、と一斎先生は見ているようです。


ただし、小生のような凡愚な人間にとっては、賢人の遺訓にも大いに教えられるところがあります。


よって聖人の行いも、賢人の遺訓も、共に有り難く拝読・拝聴させて頂きたいと思います。