原文】
妄念を起さざるは是れ敬にして、妄念起らざるは是れ誠なり。


【訳文】
心にみだらな考えを起さないのが敬ということであり、みだらな考えが起らないというのが誠なのである。


【所感】
心に敬の念があればみだらな考えは起さなくなるが、誠があればそもそも心にみだらな考えが生まれることすらない、と一斎先生は言います。


慎独を積むことで己の心に誠を蔵することができれば、どんな状況になってもみだらな考えを起すことがなくなるのだと、一斎先生は指摘しています。


ところがその修行の途中においては、完全に妄念を払いのけることができないので、敬の心で他人を尊重し、それによってみだらな考えを起さないように自分自身を自省することが必要だということのようです。


森信三先生は、他人に対して謙遜の態度をとるためには、何よりもまず自己というものが確立している事が大切だと指摘しています。


この確固とした自己がないと、目上の人に対しては慇懃で卑屈な態度になり易く、また目下の人に対しては傲慢になり易いのだそうです。


そしてこのように結論づけられております。


傲慢は、外見上いかにも偉そうなにもかかわらず、実は人間がお目出度い証拠であり、また卑屈とは、その外見のしおらしさにもかかわらず、実は人間のずるさの現れと言ってもよいでしょう。


一斎先生が仰るみだらな心とは、この傲慢あるいは卑屈な心を指すのかも知れません。


以前にご紹介したように、敬とは己を虚しうすることです。


自己を確立し、他人を敬して、どんな人とでも適度な距離感で接することができれば、みだらな心は抑え込むことができるということでしょう。


となると、独りを慎むことも大切ですが、まずは確固とした自己を築きあげることが先決なようです。