原文】
敬は能く妄念を截断(せつだん)す。昔人(せきじん)云う、敬は百邪に勝つと。百邪の来る、必ず妄念有りて之が先導を為す。


【訳文】
心を専一にするという敬があれば、みだらな考え(妄想・迷心)を断ち切ってしまう。古人が「敬はいろいろな邪悪にうち勝つ」と云っている。多くの邪悪が襲ってくると、必ずみだらな考えが先に立って案内するものである。


【所感】
敬があれば妄念を断ち切ることができる。昔の人は、敬は数多の邪念に打ち勝つものだと言っている。数多の邪念は、先にみだらな考えが生じた後、これに先導されて湧いてくるのだ、と一斎先生は言います。


昨日の続編です。


本来、心に誠があれば、みだらな考えは生まれないはずだが、人間は長く生活してくると心が曇ってくる。


するといつしかみだらな考えが生まれ、それが契機となって、さらに数多くの邪念が誘発されてしまう。


一斎先生はそうお考えのようです。


しかし敬の気持ちがあれば、それを押さえ込む自制心がはたらくのだそうです。


敬とは己の心を虚しうすること。


そのためには相手をそのまま清濁併せ呑んで、まる受けに受けてみる。


するとその相手の中にこれまで気づかなかった良さを発見できる。


これによって距離感が心地よいものになり、邪念など消え失せてしまうのでしょう。


敬のパワーをもっと理解しないといけませんね。