原文】
人は明快灑洛の処無かる可からず。若し徒爾(とじ)として畏縮し趄(しょ)するのみならば、只だ是れ死敬なり。甚事(なにごと)をか済(な)し得ん。


【訳文】
人には、さっぱりとして気持がよく、また、さわやかでわだかまりのない所がなくてはいけない。もし、いたずらに恐れ縮まり、ぐずぐずして行きなやむものであれば、これは活きた敬ではなく死んだ敬で、どんな事も成就するものではない。


【所感】
人は明快でさっぱりとしたところがなければならない。もし徒に委縮しぐずぐずしたところがあれば、それはただ死んだ敬に過ぎない。それでは何も成し得ることはできない、と一斎先生は言います。


朱熹は


敬に死敬あり、活敬あり。


と言い、敬には活きた敬と死んだ敬があると指摘されています。


相手に対して慇懃無礼に振る舞うことは、死敬だということでしょう。


敬することと、畏れ畏まることはまったく別なのです。


人は生きている限り、何をするにも誰かの力を借りなければなりません。


ところが力を貸してくれる人に対して、自己をとり失い、自分の意思を曲げてまで付き従うようでは、事は成就しないでしょう。


あくまでも確固たる自己を確立し、その上で人と接するときも明るくさっぱりとした態度を保つことができれば、敬は活敬となって、自らを救ってくれるはずです。


ここまで数章にわたって様々な角度から「敬」を取り上げてきました。


敬という徳の重要性と身につけることの難しさを強く認識できたのではないでしょうか?


若い方には、是非とも繰り返し読んで、敬を自分のものとして頂きたいものです。


一方、小生にはやや手遅れな感じもしますが、人生終盤を悔いなく生きるためにも、諦めずに、活敬を身につけたいと思います。