原文】
耳目手足は、都(すべ)て神帥(ひき)いて気従い、気導きて体動くを要す。


【訳文】
眼・耳・鼻・舌・身の五官(仏教の五根)と手足の四肢が動くのは、総て精神(心)が統率して気がこれに従い、この気が導いて体が動くのである。


【所感】
人間の耳や目といった五官や手足などは、みな精神が率いて、それに気が従う。次いでその気が導いて身体を動かすことを可能にするのである、と一斎先生は言います。


この章は、『孟子』にある「耳目の欲」に関連しているようです。


耳目などの五官や手足は、それ自体で考えることをしないので、接触する外部に影響をうける。


一方、心は自ら考えることができる。


これはつまり、耳目はインプットする器官であり、心はアウトプットする器官であると見て良いのではないでしょうか。


最終的に重要なのは、インプットした情報をどう自己解釈し、アウトプットするかにあります。


ところがインプットしたものをそのまま丸のみ丸受けしたままに過ごしている人が多いということが、現代の問題点なのかも知れません。


大人(たいじん)は心を働かせるが、小人(しょうじん)は耳目手足を働かせるところに大きな違いがある、と孟子は言います。


常に主体性をもって心を働かせる人間でありたいと思います。