原文】
学者当に徳は歯(とし)と長じ、業は年を逐(お)いて広かるべし。四十以降の人、血気漸く衰う。最も宜しく牀弟(しょうし)を戒むべし。然らざれば神昏く気耗し、徳業遠きを致すこと能わず。独り戒むこと少(わか)きの時に在るのみならず。


【訳文】
学問に志す者は、学徳が年齢と共に長じていき、学業が毎年広がっていかなければならない。四十歳を過ぎると、人は血気が段々と衰えていくから、特に寝室でのことは、これを慎むのがよい。これを慎まなければ、精神がぼうっとし、気力が衰えて、学・徳も遠大に致すことではできない。寝室でのことは、若い時だけでなく、四十以降の人も慎むべきである。


【所感】
本当に学問を修めている者の徳は年齢と共に進み、学業は年々広がっていく。四十を超えた人は、血気も衰えてくるので、寝室でのことを慎むべきである。そうでなければ精神も気力も衰えて、学徳の達成が覚束なくなる。寝室での慎みは若いときだけの問題ではない、と一斎先生は言います。


ここは性欲の処理の問題と捉えて良いのでしょうか?


森信三先生は、『修身教授録』の中で、一章を割いて「性欲」について師範学校の学生たちに講義をしています。


以下にそのポイントとなるべき言葉を抽出します。


性欲を漏らすということは、それだけ生命を失うことであり、それだけ死への接近というわけです。すなわち精液は生命のエッセンスであって、これを漏らすということは、それだけ生理的生命を減損するわけであります。ところが、心身相即体であるわれわれ人間にとっては、生理的活力の減損は、そのまままた精神的な力の減損とも言えるのです。

そこで生まれつきとしては、肉体的にいかに強壮な人でも、もしその人が性欲を守る点できびしくなかったら、将来必ずや衰える期がくるのであります。同時にまたこれに反して、その生まれつきとしては、さまで健康でない人でも、もしその人が性欲を制御することがきびしかったとしたら、その人はよく天寿をたもち、永く精神的な活動に堪えることができるのであります。

古来独りを慎むということが大切とされていますが、慎独とは、ある意味では、この性欲を慎むところに、その最下の基盤があると言ってもよいでしょう。


一方でこのようなことも言われております。


性欲の微弱なような人間は、真に偉大な仕事をすることはできないと言ってもよいということです。ですから、むかし釈尊の教団においては、性欲の萎縮したものは、これを入れなかったと言われていますが、これは実に意味深いことだと言えましょう。


つまり、性欲が衰えた人間には大きな仕事はできないが、かといって濫りに性欲を漏らす人間もまた立派な仕事はなし得ない、ということのようです。


この森信三先生のお言葉は、そのまま本章の解説になっていると考えて良いのではないでしょうか。


森先生は、古今の学者で「性欲」について触れているのは、貝原益軒先生と中江藤樹先生くらいであるとの指摘をしております。


ここにお一人、佐藤一斎先生を加えさせて頂きたいと思います。 


閨房のことについては、これ以上深く立ち入るのはやめておきましょうか。