原文】
其の言を儒にして其の行を儒にせざれば則ち其の言や、秖(まさ)に躬自ら謗るなり。


【訳文】
そのいう言葉は儒者の教えのようであるが、その行いは儒者の教えのようでなければ、そのいう言葉は、まさに自分自身をそしっているものである。


【所感】
発する言葉は儒者の言葉であるのに、行いが儒者のようでなければ、その言葉はまるで自分の身を謗っているようなものである、と一斎先生は言います。


明代の儒者である王陽明先生は、知行合一を唱え、知ることは行うことであり、行うことは知ることであるとしています。


孔子も常に、


君子は言は訥にして、行いに敏ならんと欲す


と『論語』の中で説いています。(里仁第四)


この他にも『論語』には、言葉よりも行いを重んじる発言が多く見られます。


特に、孔子が宰我(予)という弟子を評して言った辛辣な言葉が印象的です。


その部分を引用してみましょう。


子曰わく、始め吾人に於けるや、其の言を聴きて其の行を信ず。今吾人に於けるや、其の言を聴きて其の行を觀る。予に於てか是を改む。(公冶長第五)


訳しますと


先師が言われた。
「私は今までは、人の言動を聞いてその人の行いを信じた。だが今は、その人の言葉を聞いても、その行いを見てから信じるようにしよう。お前によって人の見方変えたからだよ」


「言語には宰我・子貢」と言われるほどの口達者な弟子であった宰我だけに、時に言葉が行いに勝るということがあったようです。


これはもちろんビジネスリーダーにも当てはまる戒めです。


リーダーが言行一致の人か否かをメンバーはしっかりと見極めています。


言葉よりも背中で引っ張るリーダーでありたいものです。