原文】
窮理の二字、易伝に原本す。道徳に和順して義を理(おさ)め、理を窮め性を尽くし、以て命に至る。故に吾が儒の窮理は、唯だ義を理めるのみ。義は我れに在り。窮理も亦我れに在り。若し外に徇(したが)い物を逐(お)うを以て窮理と為さば、恐らくは終に欧羅巴人をして吾が儒に賢ならしめん。可ならんや。


【訳文】
窮理の二字は『易経』の説卦伝にもとづく。その易伝に「道徳に従って正しい筋道をおさめ、物の道理と人間の本性を究め尽くして、以て天命を知るに至る」とある。わが儒家の窮理は、正しい筋道を治めるだけである。その義は我れに存在し、窮理も我れに存在するものである。もしも己外の物を逐い求めて、これを窮理とするならば、ヨーロッパ人を我らの儒者よりも勝ったものとすることであろう。これでよいのであろうか。


【所感】
「窮理」の二文字は、『易経』の説卦伝にもとづく。そこには「道徳に従って正しい道をおさめ、物の道理と人間の本性を究め尽くして、以て天命を知るに至る」とある。わが儒教の窮理は、ただ義を治めるのみである。義は私自身の中に在り、窮理もまた私自身に在る。もし私以外の物を追い求めることを窮理とするなら、西洋人の諸説がわが儒教に勝ることになってしまう。それでよいはずはない、と一斎先生は言います。


有名な大丸の家訓に


先義而後利者栄(義を先にし利を後にする者は栄える)


があります。


この言葉の元々の出典は『孟子』です。


これに先だち孔子も『論語』でこう仰っています。


子曰わく、君子は義に喩(さと)り、小人は利に喩る


つまり、君子は義に敏感であるが、小人は利に敏感であるということです。


一斎先生は、儒教の窮理は義にあり、としています。


一方、西洋人のものの考え方については、利己主義とみているようです。


つまりは、西洋人は小人であると。(笑)


義すなわち正しい道は、本来人間に具わっているものであるから、心の穢れを磨き落し、常に義を基準として物事を捉えるべきである。


それが儒教の根本の考え方だということでしょう。


西洋人が小人かどうかは別として、小生も常に義を利に優先する生き方を心掛け、少しだけ損をする生き方を歩みたいと思います。