原文】
人と万物とは畢竟地を離るること能わず。人物皆地なり。今試みに且(しばら)く心を六合(りくごう)の外に遊ばせ、以て世界を俯瞰するに、但だ世界の一弾丸黒子の如きを見るのみにて、人物見る可からず。是に於いて思察す。「此の中に川海有り。山岳有り。禽獣・草木有り。人類有り。渾然として此の一弾丸を成す」と。著想して此に到らば、乃ち人物の地たるを知る。


【訳文】
人と万物は、結局、地面から離れることはできない。人も物も総て地気や山気・水気からできている。今ためしに、しばらくの間、心をこの天地の外に置いて、広大な世界を見おろしたとしたならば、ただ世界は一個の小さい黒い球のように見えるだけで、人も万物もその姿を見ることはできない。ここで私が思うに「この小さい黒色の球の中には、川も海も山も谷も禽獣も草木も人類もことごとく存在している。これらの物が一つに凝り固まって、この小さい球を形成している」と。私の考えがここまで来ると、人類もその他の万物も総て地であることが理解できる。


【所感】
人も万物も結局、地を離れることはできない。人も物も皆地の気である。いま試みとして心を天地の外において世界を見おろせば、この地球は一個の黒い球のように見え、そこに人も万物も見ることはできない。ここで私はこう思う。「この球の中に川や海があり、山があり、禽獣・草木が生息し、人間も暮らしている。それらが渾然となってひとつの球を成している」このように考えてくると、人も万物も総て地であることが分かるのだ、と一斎先生は言います。


昨日に引き続き難解な章です。


天からみれば、人もその他の物もすべて天の創造物である。


そして天から見下ろせば、人と禽獣・草木の差異など取るに足らない微差でしかない。


所詮人間はこの地上から離れることはできないのであるから、他の生物と共存し、その生を全うする以外に為すべき道はない。


このように一斎先生は思われたのではないでしょうか?


もうひとつ、古代の中国では、人間が生まれたときからもっている「先天の気」と生まれた後に獲得する「後天の気」とがあるとされ、「後天の気」には「天の気」・「地の気」があるとされました。


このうち、「天の気」は呼吸によって取り入れ、「地の気」は食によって取り入れるとされたようです。


自ら光合成を行って栄養分をつくる植物を草食動物が食し、さらに食物連鎖によって肉食動物が草食動物を食して栄養分を吸収することで、「地の気」を食しているということです。


人間も大きく捉えればその食物連鎖の頂点に君臨すると見ることができます。


こうした見方から一斎先生は「人物皆地たり」と仰ったのかも知れません。


現時点の小生の知識では、この程度の解説しかできません。


この章句をより深く理解できるように、さらに精進を続けます。