原文】
此の心霊昭不昧にして、衆理具わり、万事出づ。果たして何れよりして之を得たる。吾が生の前、此の心何れの処に放任する。吾が歿するの後、此の心何れの処に帰宿する。果たして生歿有るか、無きか。著想して此に到れば、凛凛として自ら惕(おそ)る。吾が心即ち天なり。


【訳文】
人間が具えている本心・本性は、霊妙にして昭明なもので、多くの道理もその心の中に具わっていて、事々物々ことごとくこの心から発している。かかる昭明霊覚な心というものはどこから得たものであろうか。自分がこの世に生まれ出る以前、この心はどこに放たれたのであろうか。また、自分が死亡した以後、この心はどこに帰着するのであろうか。はたして生や死というものがあるのだろうか。このようなことを考えると、身にしむ思いがして恐れ慎む気持になる。自分の心が天そのものであることを思うからである。


【所感】
人間の心は、霊妙にして少しも昧くらからず、万事はここから発している。  この霊昭な心は何処から得たものであろうか。私が生れる前、この心は何処に存在したのか。また死後は、どこに帰着するのであろうか。心に果して生没があるのかないのか。 このように考えると、私は凛として懼れ慎む気持ちになってくる。なぜなら、我が心は実に天そのものだと感得するからである、と一斎先生は言います。


この章句にある言葉は、王陽明先生の『伝習録』の中にある以下の言葉に対する一斎先生の解釈といえそうです。


【原文】
虚霊不昧、衆理具って万事出づ。心外に理なく、心外に事なし。


【訳文】
心というのは、形こそないが霊妙なはたらきをしている。そこにはあらゆる理がそなわっており、あらゆるものがそこから出てくるのである。心の外に理はなく、心の外に事はない。(守屋洋先生訳)


何度も言いますが、佐藤一斎先生は徳川幕府の最高教育機関である昌平黌の学頭であった人です。


徳川幕府における正規の学問は朱子学であり、陽明学は危険思想として認識されていました。


しかし、一斎先生はフレキシブルに陽明学も取り入れており、その門下から佐久間象山先生を介して吉田松陰先生を生んでいます。


ここは正に陽明学の思想そのものです。


人の心には本来「良知」と呼ぶ本性が具わっており、それを曇らせるのも、磨いて光らせるのも、すべて自分自身の問題である、とするのが陽明学の基本的な考え方です。


一斎先生もそうした陽明学の思想をベースに、人の心の存在について哲学的に思索されています。


たしかに人間は死ねば肉体は朽ち果てます。


しかし心は元々形あるものではありません。


果たして心はどこに行くのでしょうか?


少々下種な話になりますが、米国では超能力捜査官という職種があって、彼等は残留思念を手掛かりに犯行を解決に導いているそうです。


人間の心が発した強い思念は、もしかしたら本当に現場に長く滞在するのかもしれません。


話が逸れました。


ここで学ぶべきは、人の心は本来霊妙で少しも昧くはない、ということでしょう。


年齢とともに曇りがちとなる心を、学ぶことでしっかりと磨き上げ、世の為、人の為に生きる人間でありたいと思います。