原文】
堯・舜の上、善尽くる無し。備るを責むるの言、畢竟難きなり。必ず先ず其の人の分量の至る所を知り、然る後、備うるを責む。然らずんば寧(いずく)んぞ窮極有らん。


【訳文】
聖王堯・舜には、善が備わって尽きることがない。しかし、つまり完全性を求めるということは難しい。それで、まずその人の才能の限度を知ってから善行を勧め求めたらよい。そうせずに、ただ人に善を責めるのでは限りがない(これはすべきことではない)。


【所感】
堯帝・舜帝の善は尽きることがない。しかし一般的にはそのような備わった状態を求めることは難しい。まずはその人の分際を弁えて、その人に適した善が備わっているかを見るべきである。そうしなければ、責めを受けない人など存在しえない、と一斎先生は言います。


第175日のところで触れましたが、かつて小生は先輩からメンバーには能力差があるのだから、各自が均等に力を発揮する必要はない。それぞれがその力の範囲内で努力していれば良いのだ、ということを教えていただきました。


『論語』に頻繁に出てくる「忠」という言葉は、今でこそ忠誠とか忠義というような単語によって、人に逆らわずに仕えるという意味で使われます。


しかし、この言葉の本来の意味は、己の精一杯を尽くすことなのです。


たとえば、忠誠といえば、組織の長や上司に対して精一杯の誠を尽くすことです。


今では小生も、メンバーそれぞれの現時点での能力をよく見極め、各々がベストを尽くしているか否かを見るように努力しています。


たとえば、能力が10あるのに7しか発揮していないB君と能力が7あって6の力を発揮しているC君がいたとすれば、パフォーマンスとしてはB君のほうが優れているとしても、C君を褒め、B君にはさらに力を尽くして欲しいとお願いをします。


モチベーションの管理が大変難しくはありますが、たとえば野球のチームには、4番打者がいればバントの上手な2番打者が必要であるように、それぞれがもてる能力のベストを発揮してくれるようなマネジメントをすることが、リーダーとして非常に重要なことだと考え、日々精進しております。