原文】
孔子の学は、己を修めて以て敬するより、百姓を安んずるに至るまで、只だ是れ実業実学なり。四を以て教う。文・行・忠・信。雅(つね)に言う所は詩書執礼。必ずしも耑(もっぱ)ら誦読を事とするのみならざるなり。故に当時の学者は、敏鈍の異有りと雖も、各おの其の器を成せり。人は皆学ぶ可く、能と不能無きなり。後世は則ち此の学堕ちて芸の一途に在り。博物多識、一過して誦を成すは芸なり。詞藻縦横、千言立ち所に下るは、尤も芸なり。其の芸に堕つるを以ての故に、能と不能有りて、学問始めて行儀と離る。人の言に曰く、某の人は学問余り有りて行儀足らず、某の人は行儀余り有りて学問足らずと。孰(いずれ)が学問余り有りて行儀足らざる者有らんや。繆言(びゅうげん)と謂う可し。


【訳文】
孔子の学問は、わが身を修め、敬う心を養うことから、万民を安らかしめるに至るまで、どれも実際の事についてなす実学である。「文(書物)を学ぶこと、学んだことを実行すること、真心を尽すこと、偽りの無いこと」の四つの事柄を人に教えた。「常に口にするのは、詩経・書経のことや礼を守ること」であって、必ずしも詩を誦し書を講ずる事だけを専一とはしなかった。故に当時の学問をした者は、才能の点で敏(さと)い者、敏くない者の差異はあったが、各々その器を大成さすことができたのである。このように人は昔、道を学び得るのであって、人によって能・不能の別があるのではない。ところが、後世になって、この孔子の学問の道は、堕落して芸の一道だけになってしまった。物語に博識で、一度目を通すと、すぐ暗誦してしまうなどというのは芸である。詩文の才能があって、自由自在に千言のものも、立ち所に書き下すなどに至っては、優れた芸である。このように、学問が芸に堕してしまったので、能・不能(できる、できない)の差異が生じてしまった。ここにおいて、学問は実践と離れるに至った。世間の人は「某は学問は十分であるが、行動面が欠けて足らないとか、某は行ないは十分であるが、学問が足らないとか」と言っている。しかし、孔子の学問に志す者で、学問が十分で行ないが欠けて足らない者があろうか、そのようなことは無い。世間の人の言うことは誤まっているというべきである。


【所感】
孔子門下の学問は、修身によって他者を敬する気持ちを育て、人々の気持ちを安らかにすることまで、すべて実践重視の実学・活学である。それを以下の四つの項目にって行うのだ。すなわち文(古の経書を読むこと)、行(篤実な行いをすること)、忠(おのれの本分を尽くすこと)、信(約束を違わないこと)である。つねに孔子が述べているのは、『詩経』や『書経』などの経書を読み、礼をとり守ることであった。必ずしも読み書きだけを学問とは捉えていなかったのだ。それゆえ当時の学者はそれぞれ能力の差はあったものの、それぞれの本文を発揮できたのだ。このように人は誰でも学ぶことができ、能力のある者とそうでない者といった差はないのである。ところが後世(もちろん現代も)はこの学問は堕して芸事のようになってしまった。なんにでも詳しく、一度読めばすべて覚えてしまうのは芸である。詩の才があり、数え切れないほどの文字をあっという間に書き写すなどというもの芸である。このように芸と堕したことによって能力のある者とそうでない者が生まれてしまい、学問が実践とかけ離れてしまったのだ。人の言葉に「ある人は学はあるが実践に疎く、ある人は行動力は十分だが学に欠ける」とある。しかし孔子の学問を学んだのであれば、どこにいったい学問は十分だが実践が不足しているなどという者があろうか?この言葉は大きな間違いだと言わざるを得ない、と一斎先生は言います。


第248日の章句同様、ここでも一斎先生は儒学とは実践躬行の学問であることを強調されております。


ここでも『論語』の章句が散りばめられております。
いくつかご紹介してみましょう。


【原文】
子路、君子を問う。子曰(のたま)わく、己を脩(おさ)めて以て敬す。曰(い)わく、斯くの如きのみか。曰わく、己を脩めて以て人を安んず。曰わく斯くの如きのみか。己を脩めて以て百姓を安んず。己を脩めて以て百姓を安んずるは堯・舜も其れ猶諸を病めり。(憲問十四篇)


【訳文】
子路が君子の条件について尋ねた。
先師は「自分の身を修め、人をうやまうことだ」と答えられた。
子路は更にそれだけでしょうかと尋ねた。
先師は「自分の身を修め、人を安んずることだ」と答えられた。
子路なお、それだけでしょうかと尋ねた。
先師は「自分の身を修めて天下万民を安んずることとだ。天下万民を安んずることは、堯、舜のような聖天使でも頭を悩まされたことだ」と答えられた。(伊與田覺先生訳)


【原文】
子、四(よつ)を以て教う。文行忠信。(述而第七篇)


【訳文】
先師は、常に四つの教育目標を立てて弟子を指導された。典籍の研究、実践、誠実、信義がそれであった。(伊與田覺先生訳)


【原文】
子の 雅(つね)に言う所は、詩書執礼皆雅に言うなり。(述而第七篇)


【訳文】
先師が、常に標準語で言われたのは、詩経、書経及び礼の書物であった。(伊與田覺先生訳)


この章から学びとりたいのは、人は各々の分に与えられた個性(器)を尽くせば良いのであって、本来人に甲乙はないのだ、という点でしょう。


学問で明確に優劣を付けるようになったのは、中国は宋の時代から始まった科挙制度に起因しているのではないでしょうか。


現代のわが国においても、受験戦争を勝ちあがった人に案外仕事が出来ない人が散見されるのも同様の現象と見てよいようです。


学ぶとは本来、己の分を知り、その分を発揮するためにあるのだという、一斎先生の教えをしっかりと受け留めたいものです。


ところがこのことは孔子の時代にもその傾向はあったようで、孔子のこんな言葉が『論語』に収録されています。最後にこれを見ておきましょう。


【原文】
子曰わく、古(いにしえ)の学者は己の為にし、今の学者は人の為にす。(憲問十四篇)


【訳文】
先師が言われた。
「昔の学んだ人は、自分の(修養)のためにしたが、今の学ぶ人は、人に知られたいためにしている。」伊與田覺先生訳)


立身出世のために、否、立身出世のためだけに学ぶのはやめましょう。