原文】

凡そ教えは外よりして入り、工夫は内よりして出づ。内よりして出づるは、必ず諸を外に験し、外よりして入るは、当に諸を内に原(たず)ぬべし。


【訳文】
だいたい、教えというのは外から入ってくるものであり、工夫(知恵)というのは時分の内部から出るものである。それで、自分の内部から色々と考え出したものは、必ずこれを外部において確証すべきであり、また、外から入ってくる教え(知識)は、ぜひこれをよく自分で調べて当否を考究すべきである。


【所感】
総じて教えというものは外から入ってくるものであり、創意工夫は自身の内部から生まれてくるものである。自身の内部から生まれてきたものは、必ず教えに照らし、外から入ってくるものは、必ず自身の中で実行すべきものかどうかを判断するべきである、と一斎先生は言います。


この章句を読んですぐに小生の頭に浮かんできたのは、以下の『論語』の言葉でした。


【原文】
わく、びてわざれば(くら)く、うてばざれば(あやう)し。


【訳文】
先師が言われた。
「学ぶだけで深く考えなければ、本当の意味がわからない。考えるのみで学ばなければ、独断におちて危ない」


つまり善や徳を踏み行うためには、まずインプットが必要であり、それをすぐにアウトプットするのではなく、熟成させることが必要だということです。


一斎先生もこれをご指摘されているのではないでしょうか?


小生などは、良い言葉や教えを聞くと、すぐに人に話してしまいます。


これでは熟成されていませんので、自分のモノ(ことば)になっていないまま伝えてしまうことになり、結果として思いは伝わらないはずです。


常に心を空しうして、教えに耳を傾け、深く思索した後にはじめて言葉として音に乗せる。


そうした言葉こそ、あたかも熟成されたワインのように薫り高く人々の心に深く沁みこんでいくのかもしれません。