原文】
天地間の霊妙、人の言語に如(し)く者莫し。禽獣の如きは徒(ただ)に声音有りて、僅かに意嚮(いこう)を通ずるのみ。唯だ人は則ち言語有りて、分明に情意を宣達す。又抒(の)べて以て文辞と為さば、則ち以て之を遠方に伝え、後世に詔(つ)ぐ可し。一に何ぞ霊なるや。惟(た)だ是の如く之れ霊なり。故に其の禍階を構え、釁端(きんたん)を造(な)すも亦言語に在り。譬えば猶お利剣の善く身を護る者は、輒(すなわ)ち復た自ら傷つくるがごとし。慎まざる可けんや。


【訳文】
天地の間で霊妙不可思議なものといえば、人の言葉に及ぶものはない。鳥や獣はただ音声を出すだけで、それによって、やっと相互の意思を通じ合うだけである。ただ人間だけは、言葉があって、はっきりと自分の感情や意思をのべ伝えることができる。また、心に思うことをのべて文章にするならば、これを遠方の人々にも送り伝え、後世の人々にも告げ知らせることができる。どうしてこんなに霊妙不可思議なものなのだろうか。ただこのように霊妙不可思議なものであるから、禍や争(あらそい)の起る発端をつくるのもまた言葉である。譬えてみれば、鋭利な剣は身を護るものではあるが、容易にまた己(おの)が身を傷つけるようなものである。それで、言葉は、慎まなければならない。


【所感】
天地の間にあって、人間の言葉ほど不可思議なものはない。禽獣はただ音を発してわずかに意思を通じ合うだけである。ところが人には言葉があって、意思を明確に伝えることができる。また言葉を文字にすれば、遠方の人に伝えることや後世に残すことも可能である。なんと不可思議なものではないか。このように霊妙であるから、禍や人間関係の不和の兆しをつくるのもまた言葉である。例えてみれば、鋭い剣は我が身を護るが、逆に我が身を傷つけるものでもあることに似ている。大いに慎まねばなるまい、と一斎先生は言います。


小生は師匠から、言葉は釘のようなものであるから、言葉を発する前によく考えなければならないと教えて頂きました。


釘は一度打ち付けてしまえば、仮にそれを抜いたところでそこにできた釘穴を元に戻すことはできないように、言葉も相手の心に届いた後は、いかに訂正しても完全に修復することはできない、ということです。


小生はずっと我が身を営業の世界においてきておりますので、言葉という武器を活用しないわけにはいきません。


しかし、だからこそ言葉で上辺を飾るようなことをするのではなく、心の在り様を言葉に乗せて伝えていかなければなりません。


つまりは心を磨かなければ、いかに言葉を飾ったところで、お客様は簡単にその真偽を見破ってしまうものだということです。


理想的には、そもそも心に禍や不和の基となるような思いが生まれてこなければ、それを言葉にすることもないでしょう。


ところが小生のような修業の身では、日々そうした邪念が心に湧き起ってくるのも事実です。


そこにも学問をすることの意味が見出されます。


『論語』にも下記のような箴言が掲載されています。


【原文】
子曰わく、君子は言(ことば)に訥(とつ)にして、行(おこない)に敏(びん)ならんと欲す。(里仁第四篇)


【訳文】
先師が言われた。 「君子は、たとえ口は重くても、行はきびきびしようと思うものだよ」(伊與田覺先生訳)


【原文
子曰わく、(やく)れを(すくな)し。(里仁第四篇)


【訳文】
先師が言われた。
「つつましくして、行き過ぎないように心掛けて、失敗する者は少ない」
(伊與田覺先生訳)


言葉の大切さを理解した上で、慎みの心をもって、言葉より行いを速やかにすることを心掛けていくことが大切なようです。