原文】
誘掖(ゆうえき)して之を導くは、教(おしえ)の常なり。警戒して之を喩は、教の時なり。躬行して以て之を率いるは、教の本なり。言わずして之を化するは、教の神なり。抑えて之を揚げ、激して之を進むるは、教の権にして変なり。教も亦術多し。


【訳文】
子弟のそばにいて助け導くことは教育の一般的なやり方(常道)である。子弟が邪道に陥ろうとするのを、戒め諭すことは教育の時宜を得たやり方である。自分がまず実践して子弟を指導することは教育の根本的なやり方である。口先に出して言わず、己が徳を以て教化することは教育の最上の窮極的なやり方である。一度抑えつけて、そしてほめ、激励して道に進ませることは、教育の一時的にして臨機応変なやり方である。教育にもまた、このように幾多の方法があるのである。


【所感】
力を貸し導いてあげることは、教育の常道である。戒めて諭していくのは、教育の時宜を得た方法である。実践して自ら背中を見せることは、教育の根本である。言葉に出さずに感化することは、教育の神技である。抑えたのち褒め上げ、激励して進めることは、教育の臨機応変さを意味する。このように教育もまた様々な手法があるものだ、と一斎先生は言います。


教育のスタイルにも様々なタイプがあるということを示された章句です。


ここでまず頭に浮かんでくるのは、かの有名な山本五十六の名言


やってみせ、言って聞かせて、させてみて、ほめてやらねば、人は動かじ


でしょう。


実はこれには続きがあるそうです。


話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず


やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず


と、3つでひとつの言葉となっているようです。


この3つの言葉の最後にある、ほめる、任せる、信頼するという行為こそが、教育の最大のポイントであるように感じます。


これにプラスして、一斎先生も最後に挙げられている教育における臨機応変さは、実は個性を伸ばすという観点からも見逃せないもうひとつのポイントです。


すでに何度か記載しておりますが、孔子は弟子に応じて言葉を適切に選びます。


その弟子にもっとも欠けている部分に、自ら意識を向けさせるような答えをするのです。


一例を挙げてみましょう。


【原文】
子遊(しゆう)、孝を問う。子曰わく、今の孝は是(こ)れ能く養うを謂う。犬馬に至るまで皆能く養うあり。敬せずんば何を以て別(わか)たんや。(為政第二篇)


【訳文】
子遊が孝について尋ねた。先師が答えられた。
「今では、親に衣食の不自由をさせないのを孝行というが、犬や馬に至るまで皆よく養っているではないか。敬わなければ、何によって犬や馬と区別しょうか」(伊與田覺先生訳)


ここでは孔子の弟子の子遊が孔子に「孝」について尋ねています。


ここでの孔子の答えは、ただ食事を与えるだけでは孝行とは言えないよ、敬する気持ちが大切なんだよ、というものです。


これは恐らく子遊が親に接する態度に、敬する部分が欠けていることを孔子が感じ取っていたからこそ生まれた答えなのです。


教育における臨機応変さ。


あらためて自分自身の指導方法を振り返らねばなりません。