原文】
凡そ人の宜しく急に做(な)すべき所の者は、急に做すことを肯(がえん)ぜす、必ずしも急に做さざる可き者は、卻(かえ)って急に做さんことを要(もと)む、。皆錯慮(さくりょ)なり。斯(こ)の学の如きは、即ち当下の事、即ち急務実用の事なり。「謂う勿れ、今日学ばずとも来日有り」と。讌(えん)を張り客を会し、山に登り湖に泛(うか)び、凡そ適意遊観する事の如きは、則ち宜しく今日為さずとも猶お来日有りと謂う可くして可なり。


【訳文】
およそ、人は急になさなければならない事を、急いでやろうとせずに、必ずしも急いでやらなくてよい事を、かえって急いでしようとする。これはどちらも間違った考である。しかし、斯学(聖人の学問)は、ただちに今なるべき事、すなわち急いで務むべき所の実際に役立つ事である。「今日学ばなくとも、明日という日がある」などと思って、ぐずぐずしていてはいけない。酒宴を催したり、客を集めたり、山に登ったり、湖水に舟を浮かべたりするような、総て思いのままに遊び歩いて見物する事などは、今日なさなくとも、明日という日があるからと言ってもよろしい。


【所感】
大概、人は急ぎでやるべき事は急いでやろうとしない。必ずしも急ぐ必要のない事を先にやろうとする。まるで反対のことをしている。儒学はいまここに急務とすることを処理する学問である。朱子は『今日学ばずとも明日があると言うな』と言っている。酒宴を催したり、客を集めたり、山に登ったり、湖に舟を浮かべたりするような、総て思いのままに遊び回るようなことは、今日なやらなくても、明日があると言っても良いだろう、と一斎先生は言います。


優先順位と劣後順位の問題です。


これは以前にもご紹介しましたが、やるべきことをやる前に、まずやらなくて良いことを思い切って捨てるという劣後順位の考え方が重要です。


仕事を処理する場合、得てしてやるべきことをすべてピックアップしようとして、本来後回しでも良いことまで順位付けをしていることはよくあることではないでしょうか?


まず思い切って捨てる、という発想は常に大切にしておくべきでしょう。


森信三先生は『修身教授録』の中で、仕事の処理のステップについて、以下のようにまとめておられます。


1.劣後順位を決める。(やらなくて良い仕事を捨てる)
2.優先順位を付ける。(何から着手するかを決める)
3.やると決めた仕事にすぐに着手する。
4.拙速主義で八十点の仕上げで良いので、一気に仕上げる。


その上で、以下のように仰っています。


一日の予定を完了しないで、明日に残して寝るということは、畢竟人生の最後においても、多くの思いを残して死ぬということです。つまりそういうことを一生続けていたんでは、真の大往生はできないわけです。

真の大往生を遂げようとすれば、まず今日一日の大安眠を得なければならぬでしょう。ところが、今日一日の大安眠を得る途は外にはなくて、ただ今日一日の予定の仕事を仕上げて、絶対に明日に残さぬということです。


一斎先生も、森信三先生も、今日やると決めたことを明日に残してはいけないと語り掛けてくれています。


最後に、本文で一斎先生が引用した朱熹(朱子)の
『勧学の文』にある言葉の全文を掲載しておきます。


謂う勿れ、今日学ばずとも来日ありと。
謂う勿れ、今年学ばずとも来年ありと。
日月逝けり、歳、我と延びず。
嗚呼、老いぬる哉(かな)、これ誰の愆(あやまち)ぞ。