原文】
礼儀を以て心を養うは、即ち体躯を養うの良剤なり。心、養を得れば、則ち身自(おのずか)ら健なり。旨甘(しかん)を以て口腹を養うは、即ち心を養うの毒薬なり。心、養を失えば、則ち身も亦病む。


【訳文】
人は日常の起居動作を以て、精神の修養をすることは、身体を養うのに良い薬といえる。精神を修養すれば、身体が自然に健全となる。うまい食べ物で身体を養うことは、精神を修養する上において毒薬といえる。精神の修養をしなければ、身体もそれにつれて衰弱して病気になる。


【所感】
礼儀を重んじて心を修養することは、結局は自らの体躯を養う良薬となるのだ。心を修養すれば、体は自然と健康体となる。おいしいものや甘いものばかりでお腹を満たすことは、心にとっては毒薬と同じである。心の修養を怠れば、体は病に侵されてしまうだろう、と一斎先生は言います。


この章句は、すんなりと理解できますね。


心と体、どちらを先に養うかという問題です。


そしてその答えは、心であると。


では、心を養うとは具体的に何をすべきかといえば、その答えは読書に如くはなしとなるでしょう。


森信三先生は、「読書は心の食物である」と仰っています。


長くなりますが、読書に関する『修身教授録』の該当部分を引用しておきます。


読書が、われわれの人生に対する意義は、一口で言ったら結局、「心の食物」という言葉がもっともよく当たると思うのです。つまりわれわれは、この肉体を養うために、平生色々な養分を摂っていることは、今さら言うまでもないことです。実際われわれは、この肉体を養うためには、一日たりとも食物を欠かしたことはなく、否、一度の食事さえ、これを欠くのはなかなか辛いとも言えるほどです。

ところが、ひとたび「心の食物」ということになると、われわれは平生それに対して、果たしてどれほどの養分を与えていると言えるでしょうか。からだの養分と比べて、いかにおそろかにしているかということは、改めて言うまでもないでしょう。

ところが、「心の食物」という以上、それは深くわれわれの心に染み透って、力を与えてくれるものでなくてはならぬでしょう。

われわれの日常生活の中に宿る意味の深さは、主として読書の光に照らして、初めてこれを見出すことができるのであって、もし読書をしなかったら、いかに切実な人生経験といえども、真の深さは容易に気付きがたいと言えましょう。

ちょうど劇薬は、これをうまく生かせば良薬となりますが、もしこれを生かす道を知らねば、かえって人々を損なうようなものです。同様に人生の深刻切実な経験も、もしこれを読書によって、教えの光に照らして見ない限り、いかに貴重な人生経験といえども、ひとりその意味がないばかりか、時には自他ともに傷つく結果ともなりましょう。


皆さん、心の栄養は足りていますか?


小生は最近、体重は右肩上がりの割りには、読書量は減少傾向にあります。


大いに反省しつつ、今日から心の食物摂取に励みます。