原文】
山水の遊ぶ可く観る可き者は、必ず是れ畳嶂(じょうしょう)・攢峰(さんぽう)、必ず是れ激流・急湍(きゅうたん)、必ず是れ深林・長谷、必ず是れ懸崖(けんがい)・絶港。凡そ其の紫翠の蒙密(もうみつ)、雲烟(うんえん)の変態、遠近相取り、険易相錯(まじわ)りて、然る後に幽致の賞するに耐えたる有り。最も坤與(こんよ)の文たるを見る。若し唯だ一山有り、一水有るのみならば、則ち何の奇趣か之れ有らん。人世も亦猶お是(かく)のごとし。


【訳文】
山水に遊んで観る価値のあるものといえば、重なり集まった山とか、激流や急な早瀬とか、深い森林や長く続く深谷とか、切りたった崖や離れた港とかである。また、紫色の山に緑色の草木がこんもりと茂っているのや、雲や霞が色々と変化する状態や、遠近の山々が相映じ、険しい山、平坦な土地が相交わり、そうして後はじめて静かで奥深い趣の観賞に価するものがあるのである。ここにおいて、まことに大地の美しい綾を眺めることができる。もしただ山が一つとか川が一つとかあるだけであれば、何のすぐれた趣があろうか。人世もまたこのようなものである。


【所感】
山水に遊んで観るべきものといえば、幾重にも重なる山脈や峰々、激流や早瀬、深い森林や長い谷、断崖絶壁、切り削いだ港などであろう。紫翠の深い山々、雲の様々な変化の模様、遠近の景色が険しい山や平らかな大地が入り組んで幽遠な趣きをかもしているのは、まさに大地が万物あやなす一つの大きな模様であることがわかる。もし、ただ一つの山、一つの川のみであれば何らの趣きもないであろう。人生もまたこのようなものではあるまいか、と一斎先生は言います。


人生は起伏に富んでいるからこそ面白いのだ、と一斎先生は仰っているのでしょう。


徳川家康公の遺訓として知られる言葉の冒頭には、


人の一生は重き荷を負って遠き道を行くが如し


とあります。


急な上り坂を超え、逆流に飲み込まれながらも、重荷を背負って人生という道の上をなんとか歩き続けていく。


たとえ途中で倒れても、何度でも立ち上がってまた歩きはじめる。


そんな人生を過ごすためには、学ばなければなりません。


教えの光に照らされてこそ、禍福始終を知っても惑わない己をつくり上げることができるのです。


もし一生を平々凡々に何のトラブルもなく過ごしたなら、実は平々凡々が一番幸せなのだという人生の真実に気づくことはできないかも知れません。