原文】
物には栄枯有り、人には死生有り。即ち生生之易なり。須らく知るべし、軀殻(くかく)是れ地、性命是れ天なるを。天地未だ曾(かつ)て死生有らずば、則ち人物何ぞ曾て死生有らんや。死生・栄枯は只だ是れ一気の消息盈虚(えいきょ)なり。此れを知れば、則ち昼夜の道に通じて知る。


【訳文】
物には栄えたり枯れたりすることがあり、人間には生まれたり死んだりすることがある。総じて生々変化してやむことがない。人間の肉体は地に属し、性命(天から授かった性質や運命)は天に属していることを知らなければならない。この天地には死も生も無いのである。だから、人にも物にも死生があろうか。死生とか栄枯とかいうが、これはただ一つの気が生じ満ちたのが生であり栄であり、一つの気が消え無くなったのが死であり枯である。この道理が了解できれば、昼夜(陰陽)交替の道理に通じたといえる。


【所感】
物には栄枯盛衰があり、人には死生がある。これはすなわち易(移り変わり)である。以下のことを知っておかねばならない。人間の身体は地のものであり、性命は天のものである。天地には死生はないのであるから、人間にも死生などはないのである。死生や栄枯というのは、気が消えたり現れたり、満ちたり欠けたりしているに過ぎない。このことを理解すれば、そのまま昼夜の道に通じたといえよう、と一斎先生は言います。


いつか訪れる死でさえ、それですべてが終わるわけではなく、肉体は地にお返しするが、性命(魂)は天に一旦帰り、いつしかまた地におりて肉体に宿るものだという考え方のようです。


昼夜の道とは、『孝経』や『伝習録』などにある言葉です。


『伝習録』の該当部分を見てみます。


生死の本質は何ですかとたずねたところ、先生は答えた。 
「昼夜を知れば、生死の本質もわかる」 
「では、昼夜の道とは、どういうことですか」 
「昼を知れば、夜もわかってくる」
「昼にもわからないことがあるのですか」 
すると先生は語った。 
「そなたは十分に昼を知っているのか、ぼんやりと起き出して、ごそごそと飯を食い、実行しても身につかず、学んでもよくわからず、一日中のほほんとしているのは、ただ昼の夢をみているにすぎない、ほんの短い間にも心を養うようにつとめ、澄みきった心で、いつも天理と一体になってこそ、昼を知っているといえるのだ。これが理想の状態であって、こうあってこそ昼夜の道を知っているのである。」  (『新釈 伝習録 守屋洋著 PHP文庫)


昼を理解すれば、自ずと夜も理解できる。


これは、まだ訪れてもいない明日(未来)をあれこれと思い悩むよりも、今やるべきことに全力でぶつかれば、明日も自然と予測できるようになって、心も穏やかとなるということだ、と小生は理解しました。


その延長線上で考えれば、やがて来る死も、生を全うできれば心安らかに自然体で受け入れられるのかも知れません。


一時の禍福に一喜一憂せず、昼を理解することに努めましょう。