【原文】
心の官は則ち思なり。思の字は只だ是れ工夫の字のみ。思えば則ち愈(いよ)いよ精明に、愈いよ篤実なり。其の篤実なるよりして之を行と謂い、その精明なるよりして之を知と謂う。知行は一の思の字に帰す。
【訳文】
心の役目というものは思うということである。思うということは、ただ工夫するということである。心の中で色々と深く考えると、ますます精しく明らかになり、またそれに対してますますまじめに取り組むようになる。そのまじめに対処する点からして、これを「行」といい、その精密にして明確な点からしてこれを「知」という。知も行も共に思の一字に帰着することになる。
【所感】
心の大切な役目は思うことにある。「思」という字は工夫を意味する。思えばますます物事に詳しく明らかとなり、ますます誠実に取り組むことができる。誠実に取り組むことを「行」といい、物事に詳しく明らかとなることを「知」という。知行はともに「思」という一字に帰するのだ、と一斎先生は言います。
思いがあるから、知識を得ることができ、また行動することもできる。
思いこそが一事を成す上での原点であることを一斎先生は教えてくださいます。
小生がこの章句を読んで思い出すのは有名な『論語』の一節です。
【原文】
子曰わく、學びて思わざれば則ち罔(くら)く、思うて學ばざれば則ち殆(あやう)し。(為政第二篇)
【訳文】
先師が言われた。
「学ぶだけで深く考えなければ、本当の意味がわからない。考えるのみで学ばなければ、独断におちて危ない」(伊與田覺先生訳)
何かを学んだならば、それについて思う、すなわち深く考えることが大変重要です。
それはすなわち、自分の言葉で他人に語ることができるレベルにまで深く思索するということでしょう。
しかし、ただ思うだけでは駄目で、学ぶことを怠ると独断に陥る危険性があることを孔子は教えておられます。
思うことと学ぶことのバランスの重要さを説いた箴言と言えます。
もう一つ思い出されるのは、これまた有名な以下のお話です。
かつて松下幸之助翁が講演の席で聴衆からダム式経営を行うための秘訣を問われたことがあるそうです。
その時、松下翁は「わかりまへんな。ただ思うことです」と答えたそうです。
それを聴いて多くの聴衆は失笑したのですが、その会場にいた一人の青年だけはその言葉に衝撃を受け、「思う」ことの重要さに気づくのです。
その青年こそ、いまや名経営者として知られる稲盛和夫さんだったのです。
さて、振り返ってみて、私たちは日々深く思索することを怠ってはいないでしょうか?
今までのやり方に無条件に従い、新しいことにチャレンジする気持ちが萎えてしまってはいないでしょうか?
小生は大いに反省させられました。
皆さんには寝ても覚めても思い続けられるような何かがありますか?