原文】
気魄の人の認めて以て中と為す者は、固(も)と過ぎたり。而も其の認めて以て小過と為す者は、則ち宛(あたか)も是れ狂人の態なり。愞弱(ぜんじゃく)の人の認めて以て中と為す者は、固(も)と及ばずして、而も其の認めて以て及ばずと為す者は、則ち殆ど是れ酔倒(すいとう)の状なり。


【訳文】
意思の強い人が、「中」と思っているものは、実に「中」を過ぎたものである。そして、その人が少し許り過ぎていると思っているものは、まるで狂人の状態といえる。気の弱い人が、「中」と考えているものは、実に「中」に及ばないものである。そして、その人が及ばないと考えているものは、たいていは酔い倒れの状態といえる。


【所感】
自信過剰の人が中だとみなすものは、もともと過ぎたものであり、やや過ぎているとみなすものは、ほとんど狂人のようなものである。引っ込み思案の人が中だとみなすものは、もともと及ばないものであり、及ばないとみなすものは、ほとんど酔いつぶれて何もできないようなものだ、と一斎先生は言います。


昨日の続きとなる章句です。


ここでは気魄の人と愞弱の人について考えてみます。


久須本先生は気の強い人と気の弱い人と訳されておりますが、小生としてはもう少し踏み込んで、「自信過剰な人」と「引っ込み思案の人」と読みかえてみました。


自信過剰の人はちょっと抑え気味で丁度よく、引っ込み思案の人はやり過ぎと思うくらいで丁度「中」にあたるのではないでしょうか?


これについては、『論語』の中で孔子が自信過剰の子路と自信のない冉有に対した態度が参考になります。かなり長文ですが、そのまま掲載します。


【原文】
子路問う、聞くままに斯(こ)れ諸(これ)を行わんか。子曰わく、父兄の在(いま)すこと有り、之を如何ぞ、其れ聞くままに斯れ諸を行わんや。冉有問う、聞くままに斯れ諸を行わんか。子曰わく、聞くままに斯れ諸を行え。公西華曰わく、由や問う、聞くままに斯れ諸を行わんかと。子曰わく、父兄の在すこと有りと。求や問う、聞くままに斯れ諸を行わんかと。子曰わく、聞くままに斯れ諸を行えと。赤や惑う。敢て問う。子曰わく、求や退く、故に之を進む。由や人を兼ぬ、故に之を退く。


【訳文】
子路が「聞いたらすぐに行おうと思いますがどうでしょうか」と尋ねた。
先師が答えられた。
「父兄がおいでになるではないか、どうしてすぐに行ってよかろうか。よく考えて行うようにしなさい」
冉有が「聞いたらすぐに行おうと思いますがどうでしょうか」と尋ねた。
先師が答えられた。
「すぐに行いなさい」
公西華がこれを聞いて不審に思って尋ねた。
「由がすぐ行いましょうかと尋ねたら、先生は、父兄がおいでになるからよく考えて行いなさいと、仰せられました。一方、求にはすぐに行いなさいと仰せられました。私にはどうも先生のお気持ちがわかりません。どうか教えて下さい」
先師が答えられた。
「求はとかく引っ込み思案だからそれを励まし、由はとかく出過ぎるくせがあるので、それをおさえてやったのだ」


これぞ「中」の本質を教えてくれる章句だと思います。


ところで、自分が自信過剰タイプなのか自信喪失タイプなのかを客観的に判断することは意外と難しいことです。


自分がどちらのタイプかがわかれば、中の捉え方の傾向をつかむことができるため、軌道修正することも可能となるでしょう。


小生は自信過剰タイプだと自己分析しております。


いや、恐らく周囲の人も100%そう指摘されるでしょう。


狂人の「中」とならないように心したいと思います。