原文】
余明記(みんき)を読むに、其の季世に至りて、君相其の人に匪(あら)ず。宦官宮妾(かんがんきゅうしょう)事を用い、賂遺(ろい)公行し、兵馬衰弱し、国帑(こくど)は則ち空虚となり、政事は只だ是れ貨幣を料理するのみ。東林も党せざるを得ず、闖賊(ちんぞく)も蠢(しゅん)せざるを得ず。終に胡満(こまん)の釁(きん)に乗じ夏を簒(うば)うことを馴致す。嗟嗟(ああ)、後世戒むる所を知らざる可けんや。


【訳文】
私は中国の明の歴史書である『明記』を読んだが、その明の末期になると、主君も宰相もその人を得なかった。宮中に仕える宦官や女官らがはびこって事を構え、賄賂が公然と行なわれ、軍隊は弱くなり、国庫は空っぽになり、政事といっても、ただ金銭のやりくり算段だけであった。それで、東林に集まった学者や官吏らも党派を作らざるを得ず、そして無頼の賊もうごめかざるを得なくなった。ついには、北方の胡がその隙に乗じて明朝を亡ぼすに至ったのである。ああ、後世の人々は、この明朝の滅亡に鑑みて戒める所のあるあことを十分知るべきである。


【所感】
私が明の歴史書を読んだところでは、明の末期になって、皇帝や宰相に人物が輩出せず、宮中に宦官や女官がはびこり、賄賂が公然と行なわれ、軍隊も弱体化し、国庫も空となり、政治は貨幣を乱発して財政をやりくりするだけとなってしまった。やがて東林党が組織され、やくざ者がうごめくようになって、遂には満州族が中国内紛の隙に乗じて国を略奪することに無感覚となってしまった。後世の人はこれを教訓としなければならない、と一斎先生は言います。


中国大陸における王朝存亡の歴史は、常に此処に挙げたような末路を辿っているようです。


明が清にとって代わってしまった要因がいくつも挙げられていますが、結局は、皇帝や宰相に人財を欠いたことが最も大きな要因とみて間違いないでしょう。


国の政治が徳治もしくは法治によって執り行われていれば、宦官や女官がはびこり、賄賂が横行することはありません。


同じく国の政治が正しく行われておれば、庶民も税をしっかりと収めるので、国庫が枯渇することもないでしょう。


国にしても、企業にしても、要するにトップ自らが襟を正すか、あるいはトップを堂々と諌めることができるブレーンを有しておれば、少なくとも存亡の危機に陥ることはないはずです。


あなたが組織のトップであるなら、自らの徳で治める経営を目指しましょう。


あなたがブレーンであるなら、勇気をもってトップを諌める覚悟を持ちましょう。


孔子は、


己に如かざる者を友とすること無かれ(学而第一、子罕第九)


と仰っています。


これは自分より劣る者を友とするな、という意味に解されることが多いようですが、本当の意味はそうではありません。


自分の周りにイエスマンばかりを集めるな、というのが本当の意味のようです。


トップとなっても諫言を受け入れる度量をもつためには、トップとなる前に、自らが諫言を提言する経験を積んでおくことが何より必要ではないでしょうか。