原文】
未だ生まれざる時の我れを思えば、則ち天根を知り、方(まさ)に生まるる時の我れを思えば、則ち天機を知る。


【訳文】
自分がまだ母の胎内にあって生まれなかった時の自分を考えてみると、混沌たる未分の状態であって、こういう状態が天創生の始原であることを知り、また、自分が母胎から生まれ出た時の自分を考えてみると、天の巧なはたらきのあるのを知ることができる。


【所感】
生まれる以前の自分のことを思えば、天根すなわち物を生ずる根元を知り、母胎から生まれ出た自分を思えば、天機すなわち天地万物が生長していく天の妙機を知ることになる、と一斎先生は言います。


非常に難解な章です。


一斎先生は、天と人間の創生は同じ過程を経るものと理解されていたそうです。


人間が生まれる以前には、渾沌とした何もない「無」の状態にあるが、親の胎内に新たな生命が芽生え、この世に生まれでると、ひとりの人間の一生を通して様々な天の妙配を見ることができる。


すべての物がこれと同様に絶対的な無から生じ、天地の力を借りて成長し、やがてまた無の世界へと帰っていく。


考えれば考えるほど不思議なのは、人間が生きている間だけその人間の中に無形でありながら絶対的に存在する記憶や思念は、その人の死と共に跡形もなく消えてしまうことです。


人間の肉体は、死んだ後も有形ですが、記憶や思念は終始一貫無形であり続けます。


こうした人間の記憶や思念は、いったいどのようにして生まれ、どこへと帰っていくのでしょうか?


一斎先生の仰るように、天の妙配を感ぜざるを得ません。


川上正光先生は、この章句の解説の中で王陽明先生の「四言教」を紹介し、以下のような解説をされておりますので、参考までに掲載しておきます。


王陽明の四言教

善なく悪なきは心の体
善あり悪あるは意の動
善を知り悪を知るはこれ良知
善をなし悪を去るはこれ格物

ここに示すとおり、心の本体は宇宙の本義の通り、善もなく悪もない。これが天根である。それが心意が動いて善悪の区別が生じ、その善悪の区別を判断してよく知るのが良知であり、物の性をきわめ、その善をなし、悪を去るのが物事にいたること即ち格物であり、これが天機であるとするのである。


小生のような凡人は、善もなすが悪もなす、というレベルにあります。


格物致知とは、善悪をよく見極め、善だけを為し、悪は決して為さないことである、ということでしょうか。


格物致知については、小生などには大変理解し難いことですが、言志四録の学びを続ける中で、少しずつ明らかにしていければよいと考えております。