【原文】
為す無くして為す有る、之を誠と謂い、為す有りて為す無き、之を敬と謂う。
【訳文】
物事を為そうとする意思が無くて、物事が自然にでき上がってしまうのを誠というのである。物事を為しても、それが為さないようなのを敬というのである。
【所感】
作為的にすることなく、本性の自然より行うことを誠といい、本性の自然から何かを行ってしかも乱れないことを敬という、と一斎先生は言います。
これまた難解な章です。
本章と第306日(『言志後録』第60条)および次の第357日(『言志後録』第101条)とを併せて「誠と敬三則」と呼ばれているようです。
その第306日のところでも触れましたが、小生はこれまでの学びから、誠と敬については、以下のように捉えております。
誠 = 忠(己を尽くすこと)
敬 = 恕(己を尽くした結果を人に施すこと)
この章でいえば、誠とは為さざるを得ないことに己を尽くすことだと言えそうです。
有名な吉田松陰先生の歌
かくすれば、かくなるものと知りながら、やむにやまれぬ大和魂
が思い起こされます。
また、ひとたびやると決めたことは、功を誇らずに何事もなかったかのように処理することが敬なのだそうです。
世の為人の為になる行為であっても、それを誇ったり、声高に宣言しているようでは駄目だ、ということを仰っていると理解しておきましょう。
ただ心の赴くままに実行して、それが結果的に社会的な善行となる。
まさに目指すべき君子の在り様です。