【原文】
誣(し)う可からざる者は人情にして、欺く可からざる者は天理なり。人皆之を知る。蓋し知って而も未だ知らず。


【訳文】
偽ることのできないのは人情であって、欺くことのできないのは天理(天然自然の道理)である。人は誰でもこれを知っている。おそらく、これを知っているようではあるが、しかしまだ本当に会得していない。


【所感】
偽ることのできないものは人情であり、欺くことのできないのは天理である。人は皆そのことを理解している。思うに、理解をしているがしかし実は未だに理解できていないのだ、と一斎先生は言います。


「誣う」とは、事実を曲げていう、ありもしないことを言う、といった意味です。


言うは易し、行うは難し、ということでしょうか。


「人の心を偽ること、天の道に外れることは良いことだろうか?」と問えば、誰しも「否」と答えるはずです。


そこで、「では、あなたは人を欺いたり、天道から外れたことはないのですね?」と重ねて問えば、これまた「否」と答えるでしょう。


陽明学の始祖である王陽明先生は、


知行合一(ちこうごういつ)


つまり、本当に知るとは実践を伴ってはじめて知ると言えるのだ、ということを提唱しました。


本来人は天の道を正しく踏み行うための「良知」をもって生まれてくる。


よって、ただ只管(ひたすら)己の良知を実行に移す、つまり良知を致せば良い、と王陽明先生は仰っています。


昔から、『論語』を読んで分かったつもりになっている人を「『論語』読みの『論語』知らず」と謂います。


小生などは、差し詰め「『言志四録』読みの『言志四録』知らず」と言えそうです。(語呂が悪すぎますが)


常に謙虚に、己の誠の足らざるを憂う気持ちを忘れないようにしたいものです。