【原文】
門面を装うこと勿れ。家儻(かとう)を陳(つら)ぬること勿れ。招牌(しょうはい)を掲ぐること勿れ。他物を仮りて以て誇衒(こげん)すること勿れ。書して以て自ら警(いまし)む。


【訳文】
家の門構えを立派に飾り整えるな。家財道具を自慢ぶって陳(なら)べるな。看板をでかでかと掲げるな。他人の物を借りて誇りに思うな。これらを書いて戒めとする。


【所感】
家の外観を飾るな、一家の財産を陳列するな、看板を掲げるな、他人の物を借りて見せびらかすな、これらを書して自らの警告とせよ、と一斎先生は言います。


これは一斎先生自らへの戒めか、あるいはお弟子さん達へのメッセージなのでしょうか?


要するに学者たるもの中身で勝負せよ、ということなのでしょう。


人は成功してお金が入ると、立派な家に移り住み、ガレージには何台もの外車を、お屋敷には高級な絵画や陶器を陳列したくなるようです。(小生は幸い?にもそこまでの財産がありません)


そのように飾り立てられた物を見た人は、この家の人はきっと大いに成功したのだろうと想像します。


それを狙って、敢えて借金をしてまで店構えを立派にし、高級な家具を設置し、大きな看板を出してお客さんを誘おうとする輩がいます。これは古今東西変わらないようです。


西郷南洲翁は、明治維新後高級官僚となった後も、雨漏りのするボロ宿に住み続け、自らもこう仰ったそうです。


命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、仕末に困るものなり。この始末に困る人ならでは、艱難(かんなん)を共にして国家の大業は成し得られぬなり。


命も惜しまず、地位や名誉や金に踊らされることのない人でなければ、国家の大事業は成し遂げられないのだ、ということです。


これは政治家に向けた言葉ですが、小生のような凡人にとっても道を踏み誤らないための有難い箴言と言えそうです。


どうせあの世に地位も名誉も金も持ってはいけないのですから、いっそのこと仕末に困る人となって、外見を飾ることなく、中身で勝負する人間でありたいものです。