【原文】
艮背(ごんはい)の工夫は、神(しん)其の室を守る。即ち敬なり。即ち仁なり。起居食息、放過す可からず。空に懸け影を捕うるの心学に非ず。


【訳文】
艮背の工夫というのは、一境に精神を専任して無我・無心の境地になることで、この心を専一にすることが、すなわち敬であり、それは最上善の所で、すなわち仁である。起居や飲食や休息など、生活の総ての面において、心を外境に馳せないようにしなければならない。これが心を存養する工夫であって、架空的なそして影法師を追うようなことをする心学(心を修める学問)ではないのである。


【所感】
内奥に精神を統一する修養法である「艮背の工夫」を行うと、精神が集中し安定する。これが即ち敬であり、また仁である。起居するとき、食事のとき、休息のときのいずれであっても心を放縦してはいけない。空中に物を懸けたり、影を捕らえるように捉えどころのない心の学問ではないのだ、と一斎先生は言います。


ここでは、艮背の工夫という言葉の理解が不可欠です。


野村英登先生は、この「艮背の工夫 」について以下のように解説されております。


人間の雑念が発揮されるのは、人間の意識が身体の前面、すなわち耳目鼻口といった感覚器官にあって、外物との接触によって乱されるからである。
そこで意識を背面に移動させることによって、外部からの感覚を遠ざけ、雑念を消すことができる。
このように精神を背中に移動させる技法を「艮背の工夫」と呼ぶ。


ちなみに、朱子学において「工夫」とは、いまだ聖人ではない人間がみずからの可能性を信じて、現実を克服すべく、長い時間をかけて学問・修養・実践に努力する営み全般を意味します。(『朱子学入門』垣内景子著、ミネルヴァ書房)


一斎先生は、このように常に「艮背の工夫」を行うことで、敬の心、さらには仁の心を保つことが可能になると仰っています。


よって一時たりとも気を抜かずに、意識を背部に留めておくことを推奨されております。


現代の我々には容易に理解できる内容ではありませんが、いわゆる開口部である耳目鼻口から意識を遠ざけておくことで、外からの刺激に過敏に反応することから自らを守るということは、感覚的にイメージができるようにも思えます。


さて、今日からは時々自分の意識を背中に持っていき、そこに留めておく鍛錬を開始してみるのも良いでしょう。