【原文】
虚羸(きょるい)の人は、常に補剤を服す。俄に其の効を覚えざるも、而も久しく服すれば自ら効有り。此の学の工夫も亦猶お是(かく)の如し。


【訳文】
身体の虚弱な人は、いつも身体を強壮にするための薬を服用している。その薬は服用して、すぐに効果が現われるものではないが、長らく続けて服用していると自然に効能が現われてくるものである。心を修める学問の工夫も、これと同じで、絶えず努力していけば、必ず効用が現われて立派な人格を形成さすことができるものである。


【所感】
身体の虚弱な人は、つねに栄養剤を服用している。すぐにその効能は発揮されないが、長く服用し続けると効果が出てくるものである。儒学という学問の工夫もこれと同じように継続することで、己の身を修めることができるようになるのだ、と一斎先生は言います。


昨日も記載しましたが、朱子学における「工夫」とは、いまだ聖人ではない人間がみずからの可能性を信じて、現実を克服すべく、長い時間をかけて学問・修養・実践に努力する営み全般を意味します。


何事も継続は力なりです。


何事も成就するまでには、努力と時間が必要なのです。


ところが最近は、即効性を求める人が多すぎますね。


即効性のある薬、いわゆる特効薬というものは、どこかで身体に負担を掛けるものです。


同じように、努力と時間を惜しんで何かをやろうとすれば、必ずどこかに齟齬を生じてしまいます。


松下幸之助翁は、素直の初段になるのに30年を要したと仰っています。


何事も30年やり続ければ道になると言われます。


百年再生の我無し


です。


仕事でも趣味でも、これをやるぞと決めたことには、もっともっと工夫と努力を費やし、時間を惜しまずに挑戦していきましょう。


小生の『論語』および儒学の学びはようやく丸2年が経ったところです。


この「一日一斎」もコツコツと毎日書き続けて一年が過ぎました。


老いて衰えず、死して朽ちない人間となるために、学び続けます。