【原文】
胸中に物無きは、虚にして実なるなり。万物皆備わるは、実にして虚なるなり。


【訳文】
心中に一物も存しない境地になれば、そこは真理そのものの世界であるからして、「虚にして実」といえる。また、孟子が「万物皆備わる」というのは、陸象山の言葉を借りるならば、「吾が心は即ち宇宙」であるが、しかし我は空虚なものであるから、「実にして虚」なるものである。


【所感】
心の中に一物すらない状態のときは、本来のありのままの心の状態であるから、何もないようでいてそれこそが実なのである。孟子がいう「万物皆備わる」というのは、わが身と万物とが一体であるということはで、それは実を伴うようでいて、むしろ虚なのである、と一斎先生は言います。


これまた難解ですね。


禅の言葉に、


無一物無尽蔵


とあります。


人間の本来の状態は無一物であるから、そこに戻ることによって、逆にそこから一切が無尽蔵に出現する、という意味のようです。


よくスポーツ選手が好結果を出したときの心境を、無心の境地であったと語るのを耳にします。


心が余計なことを考えないからこそ、最大の力を発揮することが可能となるということでしょうか。


かなりの趙訳となることを承知で、小生は本性を以下のように捉えておきたいと思います。


成功をして何もかも備わっている状態は、一見幸せそうでいて、物に囚われ煩わされている状態であって、実は不幸であるのかも知れない。
一方、心に何ものも持ち得ない状態とは、生まれたときの本来の自分に戻ることでもあるから、そこからどんな結果をも導き得るのだ。


それにしても、まだまだ朱子学の理解が不足していることを痛感いたします。。。