【原文】
人物は水火を凝聚(ぎょうしゅう)して此の体軀を成す。故に水火に非ざれば生活せず。好む所も亦水火に在り。但だ宜しく適中して偏勝(へんしょう)せざらしむべし。水勝てば則ち火滅し、火勝てば水涸れ、体軀も亦保つ能わず。


【訳文】
人間の肉体は水と火が凝り固まり集まって形成されている。それで、水と火が無ければ生活してゆくことはできない。人間が好むものも水と火である。ただ、両方の釣り合いをよく保って、偏ることのないようにするのが望ましい。水が勝てば火が消えて無くなるし、火が勝てば水が涸れて無くなってしまう。人間の身体も、この水と火の調和を失ってしまったら保つことができなくなる。


【所感】
人間の身体は水と火から形成されている。したがって、水と火が無ければ生活できない。人間が好むものも水と火である。ただ、両方のバランスをよく保って、極端に一方に偏ることのないようにすべきである。水が勝てば火は消えてしまうし、火が勝てば水は涸れてしまう。人間の身体も、この水と火のバランスを失えば保つことはできない、と一斎先生は言います。


ここでは、昨日の章に引き続き、人間の身体も易の陰陽二元論に即して説明しているのだと捉えておけば良いでしょう。


人間の身体が水からできていることは、科学的にも立証されていますが、ここで一斎先生が水と火からできているとしているのは、一体どういうことなのでしょうか?


川上正光先生は、以下のように解釈されています。


気質が水と火からなるというならば少しは理由があるように思う。即ち、人の気質には水のような静かな落ちついた、また清浄なものと、火のような激しさとを内蔵していて、これらがよくバランスがとれていなければならない。こういうことなら多少納得がゆくように思う。


水は方円の器に従う


と言います。


通常は、水の様に臨機応変に物事に対処し、やらねばならない時が来たら、まるで烈火のごとく、我が魄を焦がして戦う。


そんな捉え方で本章を理解しておきます。