【原文】
濂・洛復古の学は、実に孔孟の宗と為す。之を承くる者、紫陽・金谿及び張・呂なり。異同有りと雖も、而も其の実は皆純全たる道学にして、決して俗儒の流に非ず。元に於いては則ち静修・魯参(斎?)、明には則ち崇仁・河東・余姚・増城、是れ其の選なり。亦各々異なる有りと雖も、皆一代の賢儒にして、其の濂・洛に遡洄(そかい)するは則ち一なり。上下千載、落落として唯だ此の数君子有るのみ。吾取りて之を尚友し、心に楽しむ。


【訳文】
濂渓の周茂叔(号濂渓)と洛陽の程明道・程伊川兄弟らによる復古の新儒学は、実に孔子や孟子を宗(もと)としている。これを承け継ぐ者は、南宋の朱晦庵(紫陽)や陸象山(金谿)および張南軒・呂祖謙などである。これらは異同があるけれども、純然たる道学(新儒学)であって、決して平凡な学者ではない。元代においては、劉静修と許魯斎、明代においては、呉康斎・薛敬軒・王陽明・湛甘泉などがその代表である。これらは各々異なる所があるけれども、皆その時代のすぐれた儒学者であって、宋学の祖、周濂渓や二程子にさかのぼれば、その源流は一つである。過去千年の間、かかる儒学者はまばらであって、ただ数君子がおるだけで実にさびしい。自分はいま挙げたこれらの古人(諸儒)を友とすることによって、心に楽しみを得ている。


【所感】
周敦頤(とんい)と程明道・程伊川兄弟らによる儒学の新しい解釈は、孔孟の宗旨を伝えたものといえる。それを受け継いだのは朱熹や陸九淵および張南軒・呂祖謙であった。これらの学問の間には相違点もあるが、みな純粋に儒学に新たな息吹を与えており、いわゆる俗儒ではない。元代においては、劉因と許衡、明代においては、呉康斎・薛敬軒・王陽明・湛甘泉などが優れている。彼らも相違点はあれども、周敦頤や程兄弟を淵源としている点では一致している。千年もの間、こうした学者はまばらで、わずかに数人の君子がいるのみである。私はこれらの古人を友として、心に楽しみを得ている、と一斎先生は言います。


儒学再興の立役者が列記されています。一斎先生から更に150年程を経た現代においては、手軽に学ぶことができるのは、朱熹と王陽明の二先生くらいでしょうか。


あくまでも個人的な自負ではありますが、今は小生も儒者の端くれだと思っております。そういう意味でも朱熹と王陽明の二氏の思想を学び、実践していく所存です。


一斎先生の思想を足がかりに、朱子学については山崎闇斎先生、陽明学については中江藤樹先生などを中心に学んでいくという予定でおります。


ところで、小生にはこれら先人を批評するだけの学もありませんので、尚友と呼ぶにはおこがましい所もありますが、孔子と森信三先生を秘かに心の師として私淑しております。


生き方や仕事の進め方で迷ったときに、その判断のヒントを求めるのは、いつも『論語』と『修身教授録』の2冊です。


こうして『言志四録』を読んできて、あまり雑多な読書をしている時間も暇もないことを痛感しております。今は古典を中心とした読書を自らに課して、日々精進しております。


さて、これにて『言志後録』は終了となります。


明日からは、『言志晩録 』に入っていきます。