【原文】
博士の家は古来漢唐の注疏(ちゅうそ)を遵用(じゅんよう)す。惺窩先生に至りて、始めて宋賢復古の学を講ず。神祖嘗て深く之を悦び、其の門人林羅山を挙ぐ。羅山は師伝を承継して、宋賢諸家を折中し、其の説は漢唐と殊に異なり。故に称して宋学と曰うのみ。闇斎の徒に至りては、則ち拘泥すること甚だしきに過ぎ、惺窩・羅山と稍同じからず。


【訳文】
博士といわれる家では、昔から漢唐の古註に従ってこれを用いてきた。惺窩先生になってはじめて、宋代の儒学者達が唱えた孔孟の教えに復えろうとする復古の学問を講じた。家康公はこれを心から喜ばれ、先生の門人林羅山を挙用された。羅山は師の伝えた所のものをうけ継いで、宋代の儒学者達の説を折衷し、その説く所は漢唐の説とは異なっていた。それでこれを宋学(性理学・程朱学)と称したのだ。山崎闇斎やその学徒に至っては、それにこだわり過ぎて、惺窩や羅山の説とやや異なっている。


【所感】
博士と呼ばれる学者の家系では、代々漢や唐の時代の古註を遵奉して用いてきた。藤原惺窩先生になって、はじめて宋の時代の儒者による復古の学問を講じるようになった。徳川家康公はこれを大変お喜びになって、その門下生である林羅山を登用した。羅山は師の伝えを継承し、宋儒諸家の説を折衷し、その説は漢や唐の学者の説とは異なっていた。これを称して宋学というようになった。山崎闇斎らに至っては、そこに拘り過ぎて、かえって惺窩先生・羅山先生とは異なった説となっている、と一斎先生は言います。


引き続き宋学の日本導入の歴史が語られています。


小生は『論語』のことしか詳しくわかりませんが、『論語』においても古註と新註があります。


古註とは、何晏(かあん)らによってまとめられた『論語集解(ろんごしっかい)』のことであり、新註とは、朱熹の書いた『論語集注(ろんごしっちゅう)』のことです。


この古註と新註には、かなりの章において解釈の違いがあります。


小生の個人的な見解に過ぎませんが、古註に比べて新註の方が、やや孔子を完璧な人物と捉え、古註にあった孔子の人間臭さが減じられているという印象を持ちます。


ただし、家康公が宋学を採用したことによって、ある意味新註にあるような厳しさが江戸泰平の世の中を精神的に支えることになったのも事実でしょう。


小生としては、新註だけでなく、古註も併せて読むことで、学べることも多いように感じます。


先日読んだ書籍『入門 朱子学と陽明学』(小倉紀蔵著、ちくま新書)に、こんな記載がありました。


儒学のおもしろさというのは原典に対する注を読み比べることにあるのであり、その注の解釈にこそ、儒家的哲学思考が凝縮されているのである。


これは小生が毎月主査している潤身読書会における『論語』の読み方そのものですので、大変に勇気をもらいました。


古典の解釈に正解はありません。


学者先生の注を参考にしながら、自分なりの(前向きな)理解をして実践する。


これで良いのではないでしょうか。