【原文】
徳性を尊ぶ、是を以て問学に道(よ)る。問学に道るは、即ち是れ徳性を尊ぶなり。先ず其の大なる者を立つれば、即ち其の知や真なり。能く其の知を迪(ふ)めば、則ち其の功や実なり。畢竟一条路の徃来のみ。


【訳文】
人々は本来具足している徳性(本性)を尊重すべきである。この徳性の尊い所以を発揮するには学問による。学問によるということは、すなわち本具の徳性を尊重するということである。まず大切なことは真知を得ることである。真知を究明すれば実効を挙げることになる。真実無妄の理体(実体)たる誠を体得するには尊徳性と道問学の二つの方法があるが、結局、誠に至る向上の一路を往ったり来たりしているに過ぎない。


【所感】
人が本来備えている徳性を尊ぶ、そのためには学問を修めねばならない。学問を修めることは、すなわち徳性を尊ぶことである。まず最も大事な点をあげれば、真の知を得ることである。知を窮めれば、その効果は実り多きものになる。徳性を尊ぶ、あるいは学問を修めるという二つの方法は、結局はひとつの道を往復するようなものである、と一斎先生は言います。


徳性を磨こうと思えば、必然的に学問を行うことになるし、正しい学問を修めるならば、自然と徳性は磨かれるということでしょう。


つまり、徳性が磨かれないような学問は真の学問ではないということです。


真の学問とは、真実の知を掴むことであり、真実の知を実践すれば、効果は絶大である、すなわち徳性の高い人、さらに言い換えれば、生まれながらに人間が有している徳性を発揮できる人になる、ということでしょう。


かなり以前に紹介しましたが、伊與田覺先生は、


人間学とは徳性・習慣を磨くこと

時務学とは知識・技術を修得すること


と定義づけされています。


本章でいう真の学問とは、もちろん人間学を指します。


社会人となって、まず学ぶべきは製品の知識や営業スキルなど学ぶ時務学でしょうが、成長するにつれて人間学を学ばなければ、最終的に立派な社会人にはなれません。


小生はようやく四十代後半にそのことに気づき、慌てて人間学を学んでいるという、やや手遅れな人間です。


せめて若い社員さんには、早いうちに人間学の大切さを知って欲しいとの思いで、社内研修においては、小生の学びをお伝えしております。


若い人こそ、人間学を学んでいただきたい。


しかし、小生のような手遅れ世代であっても、自分のためというより後世・後進のために、人間学を学び伝えていく責任があるはずだと信じて、日々学び、若者と共に成長していきます。