【原文】
周子・程伯子は道学の祖たり。然るに門人或いは誤りて広視豁歩(かっぽ)の風を成せしかば、南軒嘗て之を病む。朱子因て矯むるに、逐次漸進の説を以てす。然り而して後人又誤りて支離破砕を成すは、恐らく朱子の本意と乖牾(かいご)せん。省す可し。


【訳文】
周濂渓と程明道とは、道学(宋代の道徳学)の元祖である。しかるに、門弟の中にはその真意を誤解して、自由奔放な風を醸し出したので、朱子の親友、張南軒がこれを心配した。朱子はこの放胆な風を矯正するために、徐々に説き諭した。これをも後世の人々は理解せずに、かえってめちゃくちゃにしてしまったことは、恐らく朱子の本意にもとるものであろう。この点よく反省すべきである。


【所感】
周濂渓と程明道とは、道学(宋代の儒学)の始祖である。しかし、弟子の中にはその真意を誤解して、悟ったつもりで実地の学問をおそろかにする雰囲気を醸し出したので、張栻(南軒)がこれを心配した。朱子はこれを矯正するために、少しずつ前に進む説を立てた。しかしこれをも後世の人々は理解せずに、字句に拘泥してしまったのは、恐らく朱子の本意からは大きく背き逆らったものであろう。よく反省すべきである、と一斎先生は言います。


この章を読んで、一番に感じるのは、創業者の想いは代を経ていくうちに、いつしか薄れていくという怖さを秘めている、ということでしょうか。


創業の理念は、つねに創業の物語と共に語り継ぐことが必要なのだと思います。


小生が勤務する会社も創業80年を超えております。


実質の創業者である二代目社長の社に懸けた想いを大切にしつつ、変革すべきところは大胆に変革することが必要です。


不易と流行


つねにそのバランスを意識して社の運営に携わっていく必要性を感じます。


ところで、小生が主査している潤身読書会も足掛け3年目を迎えています。


もしかすると小生自身の心にも変化が兆し、立ち上げ当初の想いが薄れてきているのかも知れなません。


古典を若者につなぐ橋渡しをしたい。


それが読書会を立ち上げた最大の狙いであったことをもう一度思い返し、古典を現実の生活の中で活学するきっかけ作りを続けていきます。