【原文】
余は年少の時、学に於て多く疑有り。 中年に至るも亦然り。 一疑起る毎に、見解少しく変ず。即ち学の梢(やや)進むを覚えぬ。近年に至るに及んでは、則ち絶えて疑念無し。又学も亦進まざるを覚ゆ。乃(すなわ)ち始めて信ず、 「白沙(はくさ)の云う所、疑いは覚悟の機」なることを。 斯の道は無窮、学も亦無窮。今老いたりと雖も、自ら厲(はげ)まざる可けんや。   


【訳文】
自分は少年時代に、学問について多くの疑問をいだいていた。それが中年になっても同じであった。 一つの疑問が起る度毎に、自分の学問に対する見方や考え方が少し変わってきた。それは学問が少しばかり進歩するのを自覚してきたことである。近年(およそ70才)になって、少しも疑う心が無くなり、その上、学問も進歩するのを自覚しなくなった。そこではじめて、明の陳白沙先生のいわれた「物を疑うということは、悟りを得る機会である」ということを信ずるようになった。聖人の道は無窮なものであり、学問も同じく無窮なものである。いま自分は年をとっているけれども、いっそう奮励努力しなければならない。


【所感】
私は少年時代、学問について多くの疑問をいだいていた。それは中年になっても同様であった。一つの疑問が起る度に、私の学問は少しずつ変化してきた。つまり学問が少しずつ進歩するのを自覚してきたのである。近年になって、全く疑う心が影を潜めた。それにより学問の進歩も自覚できなくなっている。私ははじめて、「明の陳白沙先生の言葉『物を疑うということは、悟りを得る機会である』を信ずるようになった。聖人の道は窮まり無く、学問も同様に窮まり無い。いま私は年老いたが、いっそう学問に励まねばならない、と一斎先生は言います。


年齢が進み老齢に達する頃には、どうしても気力や向学心が低減してしまうものです。


孔子も晩年、このような嘆きを言葉にしています。


【原文】
子曰わく、甚(はなは)だしいかな、吾が衰えたるや。久し、吾復(ま)た夢に周公(しゅうこう)を見ず。(述而第七)


【訳文】
先師が言った。私の衰えもひどくなったものだなぁ。久しく夢に周公を見ていないのだから。(伊與田覺先生訳)


孔子も年老いて、かつては自身のアイドルとして崇拝し、その礼制度を現代に復興させようとした、あの周公旦の夢を見ることがなくなった、と嘆いているのです。


小生などもまだ五十ではありますが、以前ほど深夜の読書ができなくなっております。


一斎先生ほどの学者先生でも、若い頃に比べるとモノを疑うことをしなくなったのだそうです。


疑いは覚悟の機 


良い言葉ですよね。


人間成長の原動力は、「なぜだろう」という疑問にあり、ということでしょうか。


死ぬまで成長し続けるためにも、常に疑念を抱き、それを晴らすという作業を繰り返さなければなりません。