【原文】
義を精にして神に入るは、燧(すい)もて火を取るなり。用を利して身を安んずるは、剣の室に在るなり。


【訳文】
物の道理を精細に究明して、神妙な奥義に至ることは、あたかも火打石で火を取って明るくするようなものである。物をうまく利用して、身を安楽にすることは、あたかも身を護るための剣を室に置いておくようなものである。


【所感】
『易経』にある「精しく道理を研究し、神妙なる奥義に至る」とは、火打石から火を取り明かりをつけるようなものである。同じく「日常の仕事を有利に処理し身を安泰にする」とは、護身用の剣を部屋におくようなものである。これほど間違いのない方法はない、と一斎先生はいいます。


ここに引用されている言葉は、『易経』繋辞下にあります。


【原文】
精義、神に入るは、以って用を致すなり。利用身を安んずるは、以って徳を崇くするなり。


【訳文】
人が義を精しく究めて神妙の境地に入れば、大きな活用を致すことができる。物を順用してして身を安らかにすれば、人を治める徳を高くすることができる。(『日本思想体系』より) 


一斎先生の存命当時、火種をつくる最良の方法は火打石を使うことだったでしょう。


火をとるには、火打石を用いるのが最適であるように、学問においても、物の道理を精しく研究することが最適最善である。


また、護身用の剣が常にわが身のそばにあることが最も安心であるように、、目の前の仕事をテキパキと処理することが、心を落ち着ける最良の方法である。


これが一斎先生からのメッセージでしょうか。


孔子も『論語』のなかで、ズバリとこう言いきっておられます。


【原文】
子曰わく、異端を攻むるは、斯れ害のみ。(為政第二)


【訳文】
先師が言われた。
「道からはずれた学問をするのは害があるだけだ」(伊與田覺先生訳)


この言葉は、何かひとつの道を究めるためには、本筋の努力をするべきであって、枝葉末節にこだわってはいけない、という教えです。


企業でいえば、コアビジネスに注力せよ、ということでしょう。


小生は、紆余曲折を経て、現在は営業パーソンの教育とその結果としての業績拡大の任務を与えられております。


その任務を全うするための大きな手段として、『論語』や『言志四録』などの東洋の古典を活用すべく、日々精進しております。


余所見をせず、浮気をせず、日々の学びを今目の前にある仕事に活かします。