【原文】
心理は是れ竪の工夫、博覧は是れ横の工夫。竪の工夫は則ち深入自得し、横の工夫は則ち浅易氾濫す。


【訳文】
心性を究明することは竪の内面的修養であり、書物を博く見ていくことは横の外面的修養である。この竪の工夫(内面的修養)は深く道理を究めて悟りの境地に至ることができるが、書物による横の工夫(外面的修養)は深みがなく表面的なもので、あまり身のためにはならない。


【所感】
理を心に究めることは縦方向の学問の工夫、広く読書見聞することは横方向の学問の工夫である。縦の工夫は深く心を究めて自ら悟ることを可能にするが、横の工夫は浅い表面的な知識が多いばかりで意味をなさない、と一斎先生は言います。


この章句を読んで思い起こされるのは、東京の篠崎にある一風変った本屋さん「読書のすすめ」の店長、清水克衛さんが提唱する「縦糸の読書」です。


縦糸の読書とは、時代が変っても変らない、世の中を貫く普遍的な法則である真理を学ぶ読書のことだそうです。


一方、横糸の読書とは、時代の流れによって内容が廃れてしまうビジネス本やノウハウ本の読書のことなのだそうです。


一斎先生は常に大自然の法則をつかむ努力をされた方であり、ここでいう竪の工夫というのは、不易、すなわち時代が変っても変らない真理をつかむことなのでしょう。


私が尊敬する伝説の営業人、中村信仁さんは、こうおっしゃっています。


売れる本ではなく、売れ続けている本を読もう。


小生が約3年の間、学び続けている『論語』はまさに読み続けられている古典です。


『論語』を学び、そこから大自然の法則をつかみ、それを日常生活の中で実践していく。


これが小生における竪の工夫ということになりそうです。