【原文】
暗夜に坐する者は体軀を忘れ、明昼に行く者は形影を弁ず。
【訳文】
暗夜に静坐している者は、忘我の境地になって、真己(本心・本性)を知り得ることができる。明るい昼間、歩行する者は、自分の姿や影をはっきり見分けることができるが、夜中静坐する者と異なって自己の本心・本性を忘れている。
【所感】
深夜、静坐瞑目する者は、自分自身の内面を見つめなおすが、身体があることを忘れがちであり、明るい昼間に行動する者は、その身体は把握できても、その内面を忘れがちである、と一斎先生は言います。
人間は外面(体躯)と内面(本性)の双方をよく修めなければならない、という教えでしょう。
ご指摘を受けてみればまったくその通りですね。
スポーツ選手など身体を鍛えなければならない職業の人は、内面の修養を忘れがちです。
ところが超一流のスポーツ選手はかならずといってよいほど、内面をも鍛えています。(かつて読売ジャイアンツV9時代の名将・川上哲治監督は、禅を学び、座禅を取り入れていました。)
一方、学者先生のように内面を鍛える職種の人は、意外と身体を疎かにする傾向があるようです。
昔から、医者の不養生などと言われますね。
これは、もちろん小生のような営業職にある人間にも当てはまることです。
営業の技術を磨くことは勿論重要ですが、技術ばかりをいくら学んでも売れる営業人にはなれません。
超一流の営業人は常に心を磨いており、所謂人格者であることが多いことがそれを証明しています。
伝説の営業人・中村信仁さんは、
心が技術を超えない限り、技術は生かされない
と言います。
技術と共に、いや技術以上に心を磨くことが求められますね。