【原文】
凡そ士君子たる者、今皆武士と称す。宜しく自ら其の名を顧みて以て其の実を責め、其の職を務めて以て其の名に副うべし。


【訳文】
大体、学徳のある士・君子を、今はみな武士と称している。これらの人々は各自、世間の名声を顧みて、武士たるの実を挙げているかどうか自ら反省して、自分の職務に励んで、武士の名に副うよう心得るがよい。


【所感】
人の上に立つ士君子とされる人は、今は皆武士と称している。それらの人はよくその名声を鑑みて自分の実績を反省し、その職を全うしてその名にふさわしい人物となるべきである、と一斎先生は言いまう。


現代に武士は存在しませんので、ここは武士をリーダー(指導者)と置き換えて読んでみます。


会社にあっても、あるいはプライベートのスポーツや読書会などの集まりにおいても、ある程度の年齢となれば、人をリードする立場になるものではないでしょうか?


小生も勤務先では、営業企画室長であり、プライベートでは、永業塾名古屋ステージリーダー、人間塾名古屋塾頭などで、曲がりなりにもリーダー的な立場を任されています。


では果たして指導者と呼ぶにふさわしい実績を残しているのか? と問われると、堂々と諾とは言えません。


『列子』という古典にこうあります。


【原文】
吞舟(どんしゅう)の魚(うお)は枝流に游(およ)がず。


【訳文】
舟を丸吞みにするような大魚は、小さな流れでは泳がないものだ。(守屋洋先生訳)


つまり大人物とは高い志を持っているので、つまらない人間と交わることもないし、枝葉末節に拘らない、ということでしょう。


いつも大流(王道)を歩む吞舟の魚でありたいですね。